My Diary

   
  2004年(平成16年) 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月  
       
    ラオス通信-9  
       
  12月

謹賀新年。サバイディ ピーマイ!!

旧年中は皆様から頂きました絶大なるご支援のお陰で何とか無事に過ごすことが出来ました。有難うございました。心から感謝いたします。本年も多々ご迷惑をおかけすることと思いますがご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

元旦を初めて異国の地で迎えました。それもビエンチャンから北に200km行ったラオスの古都ルアンパバーンで迎えました。リゾートホテルのディナーパーティと新年のカウントダウンは感動的でした。

ラオスのお正月は「ピーマイラオ」が4月中旬にあります。昨年当地に初めて居を構えた時にこのピーマイラオがありました。別名水掛け祭りというそうで、水をジャブジャブ掛けられました。ということで新年の正月は普段と全く変わりありません。

12月は何といってもタイの大地震ならびに大津波が世界的に話題を呼んでおります。私の住んでいるラオスはタイの隣の国であり、私の家からはメコン川を通してタイの国がとても近い所に見えるのですが、皆様多くの方々から地震の影響を心配して下さったメールを沢山頂き皆様の温かい心を強く感じることが出来ました。ビエンチャンにおいては、地震や津波の影響は全く無く毎日元気溌剌で生活しております。むしろTVのニュースで津波の映像を見る度に地元の方から「日本ではあんなことが起こるのか?」ということを良く聞かれます。海も無く地震も無い国に住んでいる方々にとっては強い恐怖に襲われるようです。彼らに「日本に行きたい?」というと殆どの人が「ボ」(NO)と言います。

それでは今月も私のラオス生活体験をご報告させていただきます。

 

No

項目

単位

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

1月

2月

3月

1

体重

kg

70

68

68

67

67

68

69

71

72

 

 

 

2

朝エアロビ

回数

4

4

2

3

0

2

0

0

0

 

 

 

3

朝ラン

回数

22

22

22

22

16

10

3

23

18

 

 

 

4

距離

km

102

88

121

123

93

46

14

132

102

 

 

 

5

水泳

回数

7

7

1

0

3

0

0

0

0

 

 

 

6

距離

km

4

7

1

0

2

0

0

0

0

 

 

 

7

テニス

回数

1

2

3

3

1

4

-

1

0

 

 

 

8

自転車

回数

3

4

3

3

1

4

0

3

1

 

 

 

9

距離

km

135

205

113

143

13

210

0

136

28

 

 

 

10

観光

回数

1

1

2

1

2

1

-

0

1

 

 

 

11

主な購入品

*水中眼鏡、耳栓

*譜面台

*ソー(楽器)

*マウンティンバイク用の靴とペタル

*コーヒーメーカー

*ケーン(楽器)

*サングラス

 

各1

1

 

 

 

 

1

1

 

1

 

 

 

 

 

 

 

1

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.昨年ご報告した記事の続報

1).  水について(4月号)

水道の水を飲めるようになりたいというご報告をさせて頂きましたが、その後分かったことは現地の方々も皆様飲食用にはミネラルウォーターを飲んでいることが分かりました。何処の家に入っても大きなプラスティック製の水タンクが置いてあります。私の家も同じでこのタンクは確か一本5,000kp(50円)だったと思います。時々トラックに一杯積んでやって来て補充しております。

 

2).  カラスの存在について(4月号)

ビエンチャンではカラスは全く見かけませんでした。これは山が無い故かなと思い先日ルアンパバーンに行った時に注意してチェックしてみたのですが、ここでも見当たりませんでした。多分、この国にはカラスは居ないのではないかと思いますが今後各地に出かける機会もあるかとも思いますので、監視を継続していきたいと思っております。

 

3).  サランラップの使い方(5月号)

サランラップが中々旨く使いこなせないというご報告をさせていただきましたが、その後家内が日本から送ってくれた物を使ったら快調に切断することが出来ました。故に当地で売っているものは少し厚くて強度が強いのではないかと思います。我が家のハウスキーパーさんは冷蔵庫にしまう時に余りサランラップを使わないのですが、一度説明してあげようと思ったのですが、良く考えてみたら何故サランラップが必要なのかについて私自身が良く分からないことが分かりました。今度何方かに聞いた上で説明してやろうと思っております

 

4).  洗濯について(6月号)

7月末にアパートから一軒家に引っ越しました。アパートの時には洗濯は何故か手洗いでやっておりました。一軒家に引っ越した後は洗濯機の使い方をハウスキーパーに教えて洗濯機を使うようになりました。そして衣類のチェックを行ってみたところ、矢張り洗濯機で洗ったものは手洗いより早く切れたりだめになったりするようでした。我が家の洗濯機は二層式のものですが全自動で洗濯したものとはこれまた違うのではないかと思います。

 

5).  犬について(9月号)

朝ランニングの時によく犬が私に向かってきましたが、最近は私に余り興味を示さなくなりました。色々考えてみたのですが、これは犬が私の匂いを覚えてしまって私のことを敵だとは思わなくなったためではないかと思います。殆どの犬が私を無視するようになってくれました。でも時々それを忘れて私に向かってくるアホな犬も居ますが、こういう時は大抵飼い主が傍に居る時なので飼い主が注意してくれます。ということで最近では犬に対する恐怖心は無くなりました。でも、11月に私と同期のSVが飼い始めたばかりの犬に手を噛まれたことがありました。常に注意が必要です。

 

6).  職場スタッフと我が家でBBQパーティをやった時に残り物を黙って持ち帰ってしまった件について(11月号)

バーベキューの時に残った肉とナマズをスタッフが私に何も言わずに持ち帰ってしまいました。この後所長に報告し持ち帰ったもの或いは現金を返して欲しい旨伝えました。その後所内のローカル会議でスタッフに私の意向を伝えた所、参加したスタッフ全員が夫々持ち帰ったことが分かりました。そして現金50,000kpを返してくれました。私の要求の25$とは程遠い額だったのですが彼らは私の気持ちを分かってくれたようでした。しかし「ゴメンナサイ」とは決して言いませんでした。その後色々な方に聞いてみたのですが、ラオスでは例えばバシーが終わった後、残り物は皆様黙って持ち帰ってしまうとか、同様の経験をした方が何人か居りました。ということは彼らは沢山持っている人の所から持ち帰ることは悪だとは思っていないことが分かりました。良い勉強になりました。

 

2.着任時と現在の生活や意識の違いについて

当地に着任以来九ヶ月が経ちました。当時と現在の生活や意識が少しずつ変化してきております。そこいら辺をご報告させていただきたいと思います。

 

1).  アパートから一軒家に引っ越して生活内容がガラリと変わりました

アパートに居た時には食事は最初の内は真面目に自炊していたんですけれど時間とともに外食が多くなってきました。自分で料理をする場合は殆ど同じものを作っていたので多分栄養取得が偏重していたと思います。また、外人専用の高級アパートということもあり警備や戸締りなど全く心配ありませんでした。

一軒家に住んでみると家のことは全てハウスキーパーかガードマンがやってくれますが、例えば日曜日や夜間などハウスキーパーが不在の時に外出する場合などは鍵を常に保持していなければなりません。無くしたら大変です。また、夜寝る前にはドアのロックを必ず確認します。食事は常にハウスキーパーが作ってくれるので気楽なのですが、ハウスキーパーの知っている料理が中心になるため現在は毎日ラオ料理を食べる羽目になってしまいました。

今の時点でどちらの方が良いかということは簡単には言えませんが、現地の方々とより密着した交流という意味では一軒家の方で良かったのかなと思っております。

 

2).  辛いものが好きになりました

ラオス料理は基本的に唐辛子とかパパイヤなど辛い味が主体だと思います。ということで外食の際にラオ料理を食べている内に唐辛子の辛い味付けがとても口に合うようになって来ました。口の中が何やら熱くなって口を膨らませながらフーフー言って食べるのが大好きです。

 

3).  危機意識が希薄になった感じです

日本における派遣前研修において色々な危険事例を聞いてきました。多分着任直後は街中を歩く時は常に何かに対して身構えていた感じだったと思います。夜の一人歩きは勿論のこと昼間でも単独の行動は怖くて出来ませんでした。現在では休みの日など明るい内にマウンティンバイクに乗って市内に出かけて友達と会食し話が弾んで夜遅くなることもありますが、無灯火の酔払い運転で帰宅しても余り怖さを感じなくなりました。勿論災害は忘れた頃にやってきますので忘れないように心がけてはいます。

 

3.バシーについて

バシーはラオス人にとっては最も大切な行事のようです。歓送、死別、快気など何事にもバシーと名付けて式典ならびに宴会が行われます。ということでバシーには主役が存在します。式典の部は祈祷師が15分〜30分くらいデカイ声でお祈りをささげる。この時に主役の人や関係深い人達が白い糸を持ち、これを持たない人は白糸を持っている人の肩などに触って頭を垂れて共に祈る。その後、15cmくらいの白い糸の束を持って祈りながら、周りの人の手首に巻きつけてその人のことを祈りながら縛る。その後が宴会になってデカイ音の音楽がガンガン流れる中で飲食します。

このような行事に度々出席するのですが12月は友達のお父さんの快気バシー、JICA所長の歓送バシーに参加しました。1月に家内が当地を訪問するようですがその時にバシーでもやってラオスの行事を満喫してもらおうかと思っております。

 

4.お友達が増えました

    12月は何処の国でも催しが多いようです。仕事以外のオフタイムで現地の方以外の色々な方とお友達になりました。

Mr.Keo:フランス人です。ラオ語、フランス語はペラペラ。日本で生まれラオスで育ったたようで日本語もある程度話せます。60歳前の人ですが二年前に奥様をなくして長期逗留しているようでした。飲み友達です。

Mr.青山:名古屋で水道のお仕事しているようですがラオスが大好きで今までにも4回も来られているようでした。勿論仕事の方は真面目に行い、休暇とお金をしっかりと貯めてラオスに来て水道の関係者と会うのが楽しいのだそうです。

Mrs.寺井:弁護士の奥様で物凄いバイタリティに富んだ方です。世界中を旅しているようです。高校を卒業してアメリカに渡り大学に通学しながらパイロットのライセンスを取りインストラクターとして働いていたようです。40歳を過ぎているようですがとてもそんなに見えません。美人です。それよりも何よりも驚いたことはアメリカでの生活を中断してご家族皆様で日本に移り生活しているようです。この目的が何とご本人が大学院で行政についての研究をしたいからということでした。スケールの大きさに腰を抜かしそうになりました。ご本人とお話をしている内に例のサムエル・ウルマンの「青春の詩」を思い出し、活気づけられました。

Mr.Maklansla:マレーシアで塗装、他の会社を経営されているようで、上記Mrs.寺井さんと共にワールドワイドな方です。ビエンチャンに来るのにホテルも予約せず日程もこっちに来てから決めるという大物です。日本の京都大学に留学したということでしたが、ものの考え方、見方が的を得ているように感じました。

 

5.マウンティンバイクの競技会に出場しました

毎週日曜日に参加しているマウンティンバイクのツアーがあります。その主催者のウィリーが関係する団体と思われるグループが主催となって今年二度目の競技大会があり、これに参加してきました。12月12日(日)、今回は前回に比べて多くの人が集まりました。合計300人くらい居ました。私は46歳以上の部に出場しました。この部は合計11名の参加です。一周5.7kmの周回コースを二周してスピードを競うわけですが、道が平坦でなく凸凹、砂道あり、アナボコありでとてもスリルがあります。

スタートから皆様積極的に飛ばし私も付いて行くのにパワーを消費しましたが一周目3kmくらいの所からどういう訳かトップに躍り出てしまいました。そのまま気持ちよく一周目を参加者の大拍手を浴びながら通過し爽快な気分で二周目のゴールを迎える最後のコーナーで二位の人にまくられてしまいました。優勝を信じていたのですけれど、一瞬の隙を突かれてしまいました。どうやら彼は最初からズーット私の後を密かにつけていたようで、最終コーナーで私がブレーキをかけた所でスパートしてきました。5秒差の26分30秒の記録でした。矢張り向こうの方が一枚上手でした。そしてマウンティングバイク競技の世界でも競技の仕方というか勝ち方があることを知りました。でも今回の参加者は皆様とても若く優勝した方が47歳、その他は52〜55才の方で、そんな中で62歳の私が頑張ることが出来たということに私自身を褒めてあげたいと思っております。しかし上には上があるもので私の前任者の堀端様は私より年が一つ上なのに私の数倍のパワーとスタミナを持っております。何とか堀端様の足元に追いつきたいと願っております。

今回の私達のグループには日本人の参加者が私以外に2人居りました。同期SVと現地で自動車会社を経営している方でした。

 

6.障害者の集会に出席しました

12月18日(土)朝ビエンチャンの障害者の集会に出席しました。私の友達のSoupphattaさんの勧誘に応えたものです。この目的が良く分からないのですけれど、テクニカルカレッジから、私の職場近くのソッパルワンキャンパスまで大勢で行進しました。これも目的が良く分かっていればもっと色々な協力が出来たと思っております。20,000kpの寄付をしたらTシャツをくれました。      

 

7.ビエンチャン国際ハーフマラソンに出場しました

12/26日(日)にハーフマラソン大会に参加してみました。日本人会からの案内があり、エントリーしてみました。エントリーの時にハーフに出場しようとして受付のオバハンに言ったつもりなんですけれど、何やら一生懸命しゃべっていて適当にフンフン言っていたら結局10kmに登録されていたことが分りました。多分私は弱々しい年寄りだからハーフなんか止めろと言っていたんだと思います。バカにされてしまいました。

朝5時国立競技場集合、5時半出発ということで真っ暗い中をMTBで走って行ったんですけれど、人も100人前後でこんなものかと思っていたら、実際の出発時刻の6時半には1,000人以上の人が集まっておりました。これがラオタイムと言われる所以だと思います。

記録(自己計測):44分46秒ということで私としては出来すぎの感じですが、多分距離が大幅に短かったのではないかと思っております。気持ちよく走っていて、気が付いたらもうゴールになってしまい、一寸物足りない感じでした。面白いもので計測は特に行っておりませんでした。三位になったJICA調整員の方に表彰状を見せてもらいましたが、時間も名前も何も書いてありませんでした。

順位は100〜200位位/700人くらいということでマァマァでした。パトゥーサイを真正面に見て市内で唯一の完全に整備されたランサン通りを走る気分は最高でした。ポリスが交通は遮断してくれると思いましたが走者の間隔が一寸でも空いちゃうと直ぐ横断待ちをしている車を走らせておりました。それよりも何よりも驚いたのは現地の人達は出発後全速力で走るのですが競技場を出た途端に歩く人がとても多かったような気がします。ランニング速度が一定しておりませんでした。

これ等を見ながらこれぞラオスの国を象徴しているのかなと思ってしまいました。

一番驚いたことは、朝国立競技場に到着して荷物の預かり場所を探しながらトラックをゆっくりと走っていたら離れた所から「Fuji-」と叫んでいる人が居ました。彼が傍に来て「Hello!」と言ってくれましたが誰だか思い出せません。彼は主催者のスタッフということで会場に居た人なのですが、驚いたことに毎週日曜日の朝食を食べる露店の雇い人でした。この店はサミットのお陰で取り壊されて未だ再建されていないのですが、そんな彼が私の名前を覚えていてくれたことに強く感動しました。

以上