My Diary

   
  2004年(平成16年) 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月    
       
    ラオス通信-7  
       
  9月

半年が経ちました

 
       
   

ラオスでの生活もあっという間に半年が過ぎてしまいました。ただ今健康管理休暇取得中でこのレポートは日本で書いております。この間何をやっていたんだろう?と悩んでしまうことが時々あります。時間が未だ沢山あるからと精神的にユルフン(ゆるゆるのフンドシの意味です)になっていたところが大であります。

9月は雨季の最盛期ということでしょうか朝のランニングが雨のためにできなかった日が平日だけで9日もありました。朝のランニングをしないとその日が一日中何となく憂鬱になってしまいます。これは現役時代からかれこれ30年以上も早朝に朝練テニスとかランニングなどを続けてきてその様な身体になってしまったのだと思います。

私にとって9月の最大のポイントはハウスキーパー(メードさん)が代わったということです。8月一ヶ月間でしたが私の口に合う美味しい料理を沢山食べさせてくれました。それに英語も喋れました。その彼女が急に自分の仕事を始めることになってしまい、辞めてしまいました。9月からは新しい方に来ていただいて仕事をして頂いておりますが、ラオ料理、ラオ語専門の方で最近一寸気持ちが滅入りがちです。でもこんなことにはへこたれずに料理の本を買い与えたり、私自身もラオ語の会話ができるように努力しております。それでは今月も私のラオス生活体験をご報告させていただきます。

 
 
       
 

No

項目

単位

4月

5月

6月

7月

8月

9月

 

 

 

 

 

 

1

体重

kg

70

68

68

67

67

68

 

 

 

 

 

 

2

朝エアロビ

回数

4

4

2

3

0

2

 

 

 

 

 

 

3

朝ラン

回数

22

22

22

22

16

10

 

 

 

 

 

 

4

距離

km

102

88

121

123

93

46

 

 

 

 

 

 

5

水泳

回数

7

7

1

0

3

0

 

 

 

 

 

 

6

距離

km

4

7

1

0

2

0

 

 

 

 

 

 

7

テニス

回数

1

2

3

3

1

4

 

 

 

 

 

 

8

自転車

回数

3

4

3

3

1

4

 

 

 

 

 

 

9

距離

km

135

205

113

143

13

210

 

 

 

 

 

 

10

観光

回数

1

1

2

1

2

1

 

 

 

 

 

 

11

主な購入品

*水中眼鏡、耳栓

*譜面台

*ソー(楽器)

*マウンティンバイク用の靴とペタル

*コーヒーメーカー

*ケーン(楽器)

*サングラス

 

各1 

1

 

 

 

 

1

1

 

1

 

 

 

 

 

 

 

1

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
       
   

1.お給料を支給しました

8月から一軒家に住むようになり新しい仕事として使用人の皆様方にお給料を支給しました。何だかとても偉くなった感じがしました。ハウスキーパー(メードさん)と三人のガードマンに一人ずつお給料の袋を作って“コープチャイ”(有難う)と言って夫々100$ずつ渡し、領収のサインを貰いました。皆様私の家に勤務して初めてのお給料で少し緊張していたようですが、とても喜んでおりました。100$のお金の価値は当地に於いては一家の生計を支えることができる大金のようです。私もボランティアとして当地で生活をし、たった四つの家族の方々ですけれど皆様の生活の糧を支えることができたという満足感に浸ることができました。聞いた話では私の職場では所長などは給料が404と言っておりました。勿論他にサイドビジネスをしているんだと思いますが。

2.ラオスと日本で有るもの、無いもの。

ラオス通信No.6を発信した後、東京の谷丸さんからラオスにあって日本に無いもの、或いはその反対のものについて説明が欲しいとの注文を受けました。確かにこのラオス通信を日本的な感覚で読むと理解しづらい点が多々あったようで、遅まきながら私の見聞きしたことだけですけれど挙げてみたいと思います。この中で一寸意外だったのは蝉です。私の職場は大学のキャンパスの中なので樹木が沢山植わっておりますが、一度も聞いたことはありません。暑い国なので蝉の泣き声がうるさいのではと思っていたのですが、一寸意外でした。

 

ラオスにあって日本に無いもの

日本にあってラオスに無いもの

オートバイの複数人乗り(最高で4人乗りを見ました)

電車、線路

黒米

硬貨

岩塩

自動販売機

竹材で作った直径15cmくらいのボールで手以外を使ったバレーボールのようなゲーム

映画館(昔はラオスにもあったようですが今は無いようです)

シン(民族スカート)

日本のような大きなデパート

小学生くらいの子供のオートバイ運転

  ←居るとのことでした

 

 

 

ゲームセンター

 

下駄

 

暴力団(多分)

 

ウォシュレット

 

 

 

1.犬が怖いです

引越しをして朝ランニングのコースも変わりました。前のコースはビエンチャン市の中心部でメコン川の沿道を走っておりました。新しいコースも同じメコン川の沿道ですが2kmくらい下流をを走っております。今までとは犬の態度が全く異なっていることを発見しました。朝6時前に走っているとあちこちに犬がいます。一匹の時には余り怖くは無いのですが数匹いると怖いです。ウーウー唸ってこっちに向かってくる態度を示します。そのような時に離れた所にいる犬が吼えるとそれに呼応して他の犬どもが走り寄ってきて一触即発の状態になります。先日走っていたら一匹が私に向かってきました。石をぶつけては可愛そうだと思い、砂を掴んで眼を狙って投げつけるのですが怯みません。仕方なく小さめの石を取って投げつけました。それでも向かってくるので、足で蹴り上げてやろうと身構えたところ、飼い主らしいオッサンが離れた所で何やら叫んでくれて難を逃れました。それ以降犬がいるとランニングを中断して犬の傍を相手をにらめつけながら速足で歩くことにしております。このようなことを何回か経験しました。そこで分かったことは一度戦う姿勢を見せて相手を怖がらせてやると、翌日以降はその犬は近寄ってきません。故に毎朝会う犬ども一匹ずつに「私は怖いんだぞ」と思わせる必要があります。どのくらいの時間がかかるのか分かりませんが辛抱強く頑張ろうと思っております。 

2.ASEANサミットが開かれます

今年11月にASEANサミットがビエンチャンで開催されます。これに合わせて会議場やホテル等を建設中です。ビエンチャンでは25メートル以上の建物は建てられないようなのですが、例外としてメコン川の川原に高層ホテルを一つ建設しております。4月頃の段階ではこれは絶対に間に合わないのではと思っておりましたが、現在は外装が終わり何とか間に合うような雰囲気になってきました。中国系の建設会社が担当しているようですが多分突貫工事でやっているのだと思います。

突貫工事といえば、ワッタイ国際空港も滑走路を延長しているようです。この工事、何のためにやるかというと、ある国の総理大臣がジャンボ飛行機でやって来ますが、現在のままでは距離が短くて着陸できない為に延長するとのことです。現在のラオスの国情を考えるとジャンボ機を着陸できるようにするよりも先にやることが沢山有るように思うのですが、ASEAN最優先なのでしょうか。たった一国の為に巨額の資金を注ぎ込んで工事をするなどとても馬鹿げた話と思うのですが多分日本の資金で工事をするのだと思います。勿論ラオス政府はお金を使わずに空港が国際化できるので大歓迎していることでしょう。誰がどんな考えでこの工事を計画したのか分かりませんが、今回だけは政府専用機の使用を止めて民間機をチャーターするなどして来られた方が良いのではと思うのは私だけなのでしょうか。 

3.ラオスの民家について

現在私が住んでいる家もそうなのですが、ラオス国民が住んでいる家には共通点といえるものが有ります。大きな家でも小さな家でも共通しております。それは家の窓が小さくとても暗いということです。外から見てみると薄暗い家の中でTVの番組が明るく光っているのを良く見かけます。台風が無い国なのでもっと窓を大きくして光を沢山取り入れた方が生活する上でも快適ではないかと思うのですがどの家を見てもまた、建築中の家も同じように窓が小さいです。防犯上の理由という訳ではないと思うのですが今度この理由を現地の方に聞いてみたいと思います。また、朝ランニングの時に良く見かける光景の一つに早朝から大きな音を出して音楽を流していることです。この音楽の大きな音は一般の家でも、また現地の人達が利用する食堂などでも時々見られます。何故なのでしょうか?良く分かりません。

4.初めての出張を経験しました

9月8日〜10日まで国内出張しました。ビエンチャンから南に約470kmの所にあるサバナケートに行ってきました。勿論業務目的です。現地人の所長とグループコーディネーターの舟田さんと運転手の4人で出かけました。

現在航空便が中止になっているのでJICAの公用車で出かけました。三日間の行程ですが往路復路に夫々一日ずつ、仕事が一日です。国道をまっしぐらに南下する訳ですけれど、ビエンチャンの信号を数箇所過ぎた後はサバナケートまで信号機は一つもありません。70〜90kmくらいのスピードでひたすら走ります。でも途中何回も徐行をしなければなりません。理由は道路を牛や山羊、ガチョウ、鶏などが我が物顔で歩いているからです。朝8時に家を出発して丁度4時頃にホテルに到着しました。サバナケートの町もビエンチャンと同じで違う所といえば人が少ないことと交通量が少ない所くらいで後は殆ど変わりありません。今回は現地人の所長が同行したのですが、彼の費用は全て私と舟田さんが負担しました。職場で出張費を貰っているのかどうか分かりませんが食費、ホテル代など全てこちら持ちで日本の会社では一寸考えられないやり方です。復路の昼食の後に私達が一寸席を外している間に所長が家に持って帰る土産までこっそり買って食事代の中に含ませていたのには一寸驚きました。そのくらい彼らはお金に困っているのでしょう。一寸可愛そうになってしまいました。サバナケーとには技術短期大学があってそこに私達と同じようなシニアボランティアの方々が7名くらい活躍されております。そこのコンピュータ関係の担当の方と私共の職場で指導者に対する研修を今後どのように行うかについて打ち合わせを行いました。これが今回の出張目的ですが、会社時代と違ってとても精神的に楽な出張でした。サバナケートの担当の方はとてもユニークな方で宇宙人のような壮大な考え方をお持ちの方で、こういう方もボランティアで頑張っているのかととても良い勉強になりました。 

5.交通違反の取締り

交通違反の取締りは道路の所々に設置してあるポリスボックスのような所に数人のお巡りさんがいて監視しております。それと夜になると時々道路で車やオートバイを止めて免許証の有無をチェックしております。飲酒運転もダメなのですが余り厳しくなさそうです。オートバイの場合無免許だと現地の方は2$取られます。2$払えばそれで無罪放免になります。外国人の場合は20$と言われましたが未だ確認しておりません。また土曜、日曜日はこの検問が多いんだそうです。理由は職場がお休みなのでポリスボックスで違反者の取締りをして罰金を取っているんだと言っておりましたが真実の程はわかりません。さらに平日の場合も含めて子供や学生が運転をしていても検問はしないんだそうです。理由は無免許を取り締まっても罰金が払えないからチェックをしないそうです。また、どこの国でも同じことだと思いますが若い女性にはアマちゃんなのだそうです。何回かに一回くらいは適当な理由を言うと見逃してくれるとのことでした。

6.大使公邸に初めて入りました

ラオス駐在の大使が移動で交代になりました。8月に橋本大使帰任の昼食会。9月に桂大使着任の夕食会に招かれて出席しました。大使公邸というと昔のペルー大使館公邸人質事件を思い出します。ラオスもとても立派な建物で塀には厳重な柵がめぐらされ中にはテニスコートもありました。このような人寄せをする場合は道路も大変です。公邸に通じる道路が300メートルくらいにわたって通行禁止になります。私達は招待状を見せてこの検問を通過します。公邸の周り、公邸の庭園の外側はメコン川が流れておりますがそういうところにも警官が監視しております。

ラオスの国にとって最大の資金援助国である日本の大使ともなると出席者も百人以上になり地元名士の方々も多数出席されているのだと思います。そういえばラオスのアイドル、アレクサンドラさんも居りました。彼女はとても美人なのですがいつも母親と一緒で一寸宮沢りえモードの親子みたいです。私は母親が他の人と話している隙を狙ってアレクサンドラに近ずきお話とツーショットの写真を撮らせて貰いました。また、日曜日のマウンティンバイクで時々一緒に走るペルー人のオッサンも正装姿で出席しておりました。彼は銀行員で偉い方なのでしょうか私が親しげに近づいても余り笑顔を見せず色々な方々をチェックしているようで私のようなボランティアとは話している暇などなさそうでした。でも日曜日の彼の顔は全く別人になります。面白いものです。大使公邸で最も気に入っているのは食事です。日本で食べるのと同じ寿司が食べられるからです。それと日本酒を存分に堪能できるからです。個人的な気持ちを言わせていただければ毎月でも大使が交代してくれると最高に幸せです。

 

以上