My Diary |
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2004年(平成16年) | 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラオス通信-3 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6月 |
行動パターンが出来てきました |
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5月も暑い日が続きました。しかし暑さとメコン川の水量は日が経つにつれて確実に変化してきております。朝の7時過ぎまでと夕の5時半以降はとても過ごしやすくなってきました。今月も至って元気に過ごしました。それでは5月のご報告をさせていただきます。 1.各種データ |
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2.毎日の行動パターン 漸く当地の生活にも慣れ、安定的な行動パターンが出来てきました。概要を紹介します。
3.ラオスの楽器を習い始めました ラオスには有名な楽器としてケーンとソーがあります。両方ともとてもユニークな音が出て気に入っております。丁度JICAの方で私達の面倒を見てくださる調整員の平澤様の奥様が習っているということで4月13日から個人レッスンを毎週一時間私のアパートで受けております。教科書はラオ語で殆ど分かりませんが、先生は英語で教えてくれます。また、これにあわせてソーィも購入しました。日本の胡弓に似た2弦の楽器で中音域の1オクターブで弾きます。時間の余裕が取れるようになったらケーンも習う予定にしております。 4.メコン川について 朝ランニングは最近少しずつ朝が明るくなる時間が早くなってきた感じなので、5時半過ぎには出発します。メコン川の川原を川の流れ或いは反対側に往復のランニングします。4月17日まではこの川原から中洲まで地面が繋がっていたのでこの広大な中洲を走り回っておりました。川原に下りてから中洲を走って川の辺まで行くのに200mくらいありました。ここは殆ど海と同じ砂です。4月18日からは中洲との間の小さな流れの水量が増大してきて渡れなくなってしまいました。でも地元の人たちは水の中を平気で渡って行きますが…。そのために手前の川原を行ったり来たりしています。4月18日から5月22日までは一回の往復に約6分かかっておりました。これが5月24日には水量が増加してきたために、1往復が約2分30秒くらいのところしか走れなくなってしまいました。これでは効率が悪いので5月26日からは土手の上を走るようにしております。土手の上は直ぐ脇に自動車やトゥクトゥク、オートバイクなどが走っているため余り好きではないのですが仕方なく走っております。でも、早朝のランニングはとても気持ちが良いので帰国の日まで続けようと思っております。このメコン川も6月からの雨季には水量が大幅に増加し、殆ど人を寄せ付けない河になってしまうそうです。でも、この川はどういう訳かビエンチャンに到着した時からとても好きになってしまいました。出勤の時、時々運転手がズルをしてメコン川沿いを通らない近道を行くことがあったので、必ずメコン川の道を通るように要求しました。
ランサンホテル前から見たメコン川です。左端にちょこんと建っているのが建設中のホテルです。 5.メコン川の川原に建設中の会議場について 現在、ビエンチャンの東側のメコン川原に大きなホテルやビルを建設しております。このビルの建設を見ていると、地震多発地域(日本)とそうでない地域(ラオス)の差が良く分かります。ホテルと思われる高層建物の方は床と横の壁で基本的な強度を持っているようで、ちょうどマッチ箱の外側のケースのようなものが上下左右に繋がっているのを想像すると分かると思います。その後、穴の部分の外の壁をくっつけるというかコンクリートで埋めていくのです。ショッピングセンターのようなところは5階建てくらいの建物ですが足場は竹を紐で結んでいるのです。これらの建物は今年11月に開催されるASEANサミットでも利用されるようですが、未だ半分程度の完成度です。これを見て私が感じた問題点は @. メコン川原の砂を大量に掘ってこれで埋め立てて建設しているが、長い年月の間にメコン川の流れに勝ち続けることができるのだろうか? A. 普段でも停電などがあるというのにこんなに大規模な建物を建てて電力や水道などの供給は大丈夫なのだろうか? B. 私が正門のところに行って工事中の写真を撮ろうとしたら、おまわりさんがすっ飛んできてNO,NOとカメラを取り上げんばかりに怒られました。何かやばいことでもあるのだろうか? C. ASEANサミットまでに間に合うのだろうか?幾らボーペニャン(どう致しまして)の世界でもこればかりはそうは行かないのではと思うのですが… 6.葬儀に出席しました 職場のSaycamさんのご子息さんが亡くなられたため葬儀に出席しました。広い敷地のお寺の中にある屋根と柱だけの広い建物の中にバシー(お祈りの儀式)のときに使う祭壇と同じものが置かれており、そこにご両親が待っていました。だだっ広い部屋というか屋根の下にはそれだけでした。家族や親戚は建物の周りに置いたテーブルや置かれたTVの番組を皆で楽しんでいるようでした。テーブルの上ではトランプをやったりペチャペチャ話をしたり余り悲しそうな雰囲気がありませんでした。私たちが行ったのは14時頃でもしかすると正式なセレモニーの時間ではなかったのかもしれません。Saycamさんが言うには彼は21歳のラオス大学の学生で空手の有力選手で前日友達と一杯飲んであくびをして倒れてそのまま亡くなったということで何やら狐に鼻をつままれたような話でした。翌日はあそこで荼毘に付すということで境内の片隅にあるコンクリートの長い柱のようなものが横たわっている所でやるそうでした。二日後最後のバシーだということで今度はご自宅に伺がってバシーに参加しました。そこにも30人くらいの方々(多分親戚)がいましたがバシーの前後はTVを見たり、トランプをやったり悲しそうな雰囲気は全くありませんでした。これも死生観の違いなのでしょうか。良い勉強になりました。 7.現地の方と会食 職場の方と会食する機会がありました。バシーなどでは現地料理を食べますが、店に行って現地の方が食べるものと同じものをオーダーしてもらい食べました。私と現地の方二人の合計三人でした。魚料理が美味しいといわれているお店に行きました。オーダーは35cmくらいの焼き魚(二匹)、キャベツの葉っぱ、その他色々な葉、別のザルにはソーメンのようなもの、更に別のザルには南京豆、何かの実、鷹の爪、その他色々な種類の小さく切ったもの、タレが出てきて、キャベツの葉っぱを広げてこの上に魚の身や南京豆、その他好きなものを乗せて葉っぱでくるみ、これをタレに付けて食べるのです。とっても美味しくいただけました。私は色んなものを巻いて食べましたがどれもこれも美味しかったです。これにビールを5本、ラオラオといって現地の焼酎のようなものを一本とって皆腹いっぱいに食べて何と82,000kp(820円)ということで驚くほど安かったのにはビックリしました。私達が普通行く店は外人用のメニューや価格があってそれも安いと思っていたんですけれど、現地人用のものはもっと安くて美味しいということを発見しました。 8.インターネット料金について 4月分の光熱費の請求が来ました。合計125$も取られてしまいました。内訳は電気代、ドライクリーニング代、水道代、インターネット接続電話代です。この中でインターネット接続電話料金は約60$と、とっても高価です。何故こんなに高いのか、一つの理由としてダイアルアップするときに電話番号を5種類くらい設定してありますが、一つの回線がビジーの時、他の番号に自動的に移りますが、この時にも一回分の料金が取られてしまうようです。請求書を見ると同じ日のアクセス回数が20回くらいになっているのもあり、多分そういうことだと思います。それにしても日本より遥かに高いので困りものです。 9.運転について ビエンチャン市内の道路は自転車、トゥクトゥク、車、モーターバイクの順番で多くなってきます。この中で免許が必要なのはモーターバイクからなのですが、このモーターバイクを運転している人の年頃を見ているとどう見ても小学生にしか見えない子供が運転している場合があります。ラオス人の女性の友達が出来たのでその人に聞いてみたら、勿論無免許でした。どうして免許を取らないの?、無免許で警察に捕まったらどうするの?仕事が出来なくなっちゃうんじゃないの?。私の質問にキョトンとしたような顔をして、警察に捕まったら罰金を払えば良いじゃない。幾ら払うの?。2$。 そういうことのようでした。多分彼等は免許を取るお金が勿体無いということもあり、免許を取らずに捕まったら罰金を払おうというスタンスのようでした。そういうこともあるからでしょうか、市内ではオートバイとオートバイ、又は自動車との事故があちこちに見られます。一週間で2〜3回現場を見ることはザラです。私も自転車に乗っていてオートバイと勝負しちゃいましたが、車の陰から突然出てくるので全く避けようがありませんでした。この時は大した怪我でも無かったので、デカイ日本語で怒鳴り飛ばして‘あっちへ行けっ!!‘と怒鳴って逃がしました。でないと直ぐそばの人達が沢山飛び出してきてワイワイやられるとこっちが悪くなくても悪者にされてしまうようなので、この防御策として人たちが来る前に相手を恐れさせて逃げさせました。これは良い勉強になりました。とにかく事故だけは気を付けるようにします。また、酔払い運転は取り締まり対象外のようです。一度私のアパートで同期の仲間と会食した時に、私の車の運転手も呼んだら、相当に飲んでいてこの上に更に飲んで、帰りになったら同期の仲間をホテルまで送ると言って聞かなかったことがありました。彼に聞くと酔払い運転はno problemと言っておりました。勿論同期の方々は歩いて帰りました。 10.お国柄? 外務省や日本の方から色々な情報が入ってきます。とても貴重なものだと思っておりますが、当地で生活しているとその様な雰囲気は全く感じられません。例えば日本の外務省からの情報として以下のようなものがありました。 5/2日:首都ビエンチャンで2日、爆弾が爆発し、犯人とみられる人物が死亡しました。その他に負傷者の報告はありません。爆発は Manthathourath通りにあるラオス女性同盟の建物周辺で発生しました。当局は、犯人が狙った場所に爆弾を仕掛ける前に、爆弾が爆発したものとみています。 5/8日:夕方、ラオス・タイ友好橋開通10周年を祝う公式式典が行われている最中に、同橋に隣接する駐車場で爆弾が爆発し3人が負傷しました。 5/8日:タデウア国境詰所へ続く道路上の、ラオス・タイ友好橋から200メートル ( 200ヤード ) の地点で爆弾爆発事件が発生しました。 これ等の事件は多分起こったものとは、思うのですが全くその様な話は職場でも何処でも聞かれません。一度この情報をコピーしてLAO語の先生(日本語ベラベラ)に見せましたが知らないというほどでした。ということで殆どの人が危険という感覚は持っていないのではないかと思われます。私としましては‘災害は忘れた頃にやってくる‘の教訓を肝に銘じ常に注意深く行動しているつもりです。 11.今一番困っていること 毎日明るく元気で過ごしておりますが、私にとって今一番悩ましいことは朝夕の料理の時のサランラップの使い方(切り方)です。同期の女性の方から良く教えていただいて左手の親指に力を込めて右手で引っ張れば軽く切断できるというのですが、これがどのようにやってもいうことを聞きません。まるで私の家内のように強情ぱりです。そこで仕方なくこれを使う時にはハサミを用意して端をチョコッと切って引っ張るようにしております。この問題が解決できれば私の当地での生活も更に快適になるのではないかと思っているのですが当分解決できそうにありません。 以上
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