My Diary

   
  2004年(平成16年) 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月  
       
  1月31日(晴) ザ・新年会  
   

夜、私達の町の6つの町会長による連合町会の役員会/新年会をやった。6人のメンバーであるがとてもまとまりが良くて気に入っている。女性の会長さんも一人居る。来年度の定期総会の準備を済ませて早速新年宴会だ。皆様が夫々持ち寄ったお料理や飲み物で色々な話題が飛び交う。

子供の頃の話になり、オチンチンの毛が生えてきた時、私はこれは異常事態だと深刻に悩み、密かにハサミでこれを切ってしまい、これを玄関のタタキの石台の隙間に捨てて、これが母親に見つかってしまい、こっぴどく怒られたこと、また、その後座る時に短い毛が肌に突き刺さって酷く痛い思いもした。子供心に人生がつくづくいやになったことを話したところ、オレモオレモと皆様が同じような経験をしており、嬉しく思うと同時に皆様大爆笑であった。

また、町会長の仕事をやっていると色々な問題が出てきて夜も眠れない時もあるようで、皆様大変なご苦労をされていることを改めて認識した。でも、私の場合は何事も”ケセラセラ”の精神でやるので、夜が眠れないようなことは余り経験が無い。もう少し真面目に物事に取り組まなければいけないことを痛感した。夜中まで楽しい会話が続き、飲み物が無くなった所でお開きであった。これからも仲良くやりましょうね。お願いします。

 
       
  1月30日(晴) 鏡の命を大切に  
   

我が家のカーポートから道路に出るためにはガイドをしてもらう必要がある。道路の見通しが悪いからだ。ガイド役が居ない時には車のエンジンをかけて窓を開けてスタンバイ状態にしておいて道路の状況をチェックしてから急いで車に乗り込んで発進する。
この方法は私は問題なく出来るが家内には難しいらしい。この解決のために家の出口の所に市が設置した反対側道路のためのミラーポールがある。ここに小さいミラーを取り付けて安全に発進できるようにしていた。ところが昨年、何処の誰か分からないがこれを割ってしまった。私の所だけでなく隣の家のもである。それ以来不便な発進をせざるを得なくなった。
割った人の気持ちは全く理解できないが、その人にとってはたかが鏡ということであろうが、私にとってはとってもとっても大切なものなのに・・。本日代わりの鏡を購入した。今までより少し高い所に設置しよう。そしてこの鏡が何時までも元気で私達の安全を守ってもらおう。

朝、昨日購入したwebカメラを接続した。自分の顔を画面に写して悦に入っている。早く何方かと交信してみたい。

午後は会社時代のOB会の幹事交代について、三人で会食しながら打ち合わせを行った。昨年リタイアされた副会長様は毎日ゴルフの練習をしてスコアが急上昇したとのこと。皆様夫々得意の分野で大活躍されているようだ。

 
       
  1月29日(晴) fujisawa plazaを発見!  
   

mmxの〇さんからwebカメラを買ったら、というお話を聞き八王子に出かけた。街の中をキョロキョロしながら歩いていたら、fujisawa plazaというデカイお店があった。私達のプラザの名前と同じこともあり、嬉しくなって入っていこうとしたが途中で止めた。傍に行って良く見たらパチンコ屋だった。ウーン・・・
webカメラと腕時計を買った。マイクロソフトのメッセンジャーをダウンロードして楽しい会話をやるぞ!!
その後、朝練の坂本さんと色々な相談があり一杯飲みながらお話をした。私の仕事のこと、テニスのこと、詩吟のことなど等・・・。昼からお酒を飲みながらお話するのは何だかとても得をした気分になり、楽しみが倍増する。二次会は当然カラオケだ。ここでは家内も呼び出してジャカスカ歌った。私達が幾ら頑張ってみた所で坂本さんの歌にはかなわない。坂本さん有難うございました。

 
       
  1月28日(晴) ドライブ  
   

テニス仲間の町山さんご夫妻と伊豆の方へドライブに行った。天気は上々、途中小田原−厚木道路では富士山がくっきりと雄大な姿を現していた。

今回は水仙を見に行こうということで、爪木崎の水仙を楽しんだ。満開という訳には行かなかったが、一面に咲く花々が芳しい水仙の香りを漂わせ思わず目を瞑って青春の日々を思い出してしまった。爪木崎灯台から東の方を眺めると、左から大島、利島、鵜渡根島、新島、三宅島、新島、式根島、神津島等の伊豆諸島が良く見渡せた。三宅島からは白煙を吹き上げているのが良く見えた。島民の方々のご苦労を思うと頭が下がる。

ドライブは最近は家内と二人で行くことよりも仲間達と行くことが増えた。この方が遥かに楽しいし、色々な会話を通して懇親を深めることが出来るからだ。

昼食は稲取漁港でタイのなめろう丼と金目鯛の煮付けを頂いた。これって案外いける。そういえばカワハギの先輩から、なめろうという話を聞いていたので、本日初めてなめろうを味わってみて、これはいけると思った。カワハギのなめろうなんか確かに美味いだろう、今度自分で釣ってやってみよう。

夜帰宅したらご近所の方がやってきて、町内会のお話や来年度の事についてお話があり、そこでビールを傾けながら楽しいお話タイムであった。

 

 

 

 

 

 

1月27日(火)曇

我慢

 

 

 

市長さんや市の幹部が出席する私達の町の市政懇談会に出席した。踏み切りの問題や中央公園の問題などについて予め提出しておいた質問事項に回答する形式であった。

ここで、強く感じたのは、行政というのは極力情報を出さないというのが基本となっているため、言い回しは丁重で丁寧ではあるが発言の中身は抽象的な回答ばかりである。事前に質問書を提出してもこんなものなのであるから、逆にいうとこれが行政としては最大限の情報サービスなのであろうか。

冒頭市長さんは金が無い、金が無い、と言い訳がましいことを盛んに言って色々な話に防御線を敷いてお話されていた。小泉さんも改革には痛みが伴うから我慢しろと国民に言っており、市の方も我慢している。市民の方も我慢して下さいだそうである。そういえば、小泉総理大臣の改革は何時まで我慢すれば良いんだろう?

 

 

 

 

 

  1月26日(月)晴 空しい議論  

 

 

家で仕事関係で提出する資料を作成した。
午後府中で昔お世話になった古山写真館の社長のところに行った。相変わらず元気で嬉しかった。久しぶりの車の運転なのでとても緊張した。
途中ラジオはイラク国会中継を放送していた。民主党の国会議員がイラクにおける非戦闘地域の定義について執拗に質問をしていた。攻撃をしてきた相手が誰だか分からないところでこれが国際紛争当事者なのか否かという判断が出来ない時に武力を行使するかどうかということなんか分かりっこないと思うのだが、石波防衛庁長官は”yes”or”no”で回答するように求められても、同じ説明を繰り返すだけであった。主義主張が異なる政党が相手の弱点を突こうとして策略を練るのに対し、抽象的な表現の法律を正当化して答えるわけだからこんなの国会議員の議論というべきではないような空しさを感じた。
全ての用件を想定して完璧な法律なんてできっこないのに、そんな所でエネルギーを使う政治家は両方ともレベルが低いといわざるを得ない。
基本を政治家が、文言を官僚がしっかりと分担するというシステムにならなければいけないのに、枝葉末節の表現について給料の高い国会議員が時間とエネルギーを費やすのは税金の無駄遣いとも言えるのではないだろうか。会社でこんな議論をやっていたら直ぐにリストラされてしまうはずである。

 

 

 

 

 

 

1月25日(日)晴

新年会

 

 

 

SkB会の新年会に出席した。多摩センターにあるウェルサンピアという厚生年金の施設で物凄く豪華な設備だ。このSKB会は今、私が幹事長を務めているが、お役ゴメンになるのは一度海外旅行に行って実績を作らなければダメとのことである。私が4月から仕事で不在になるため、海外旅行の実績が無いのであるが幹事長職を辞退させていただくことにした。

新年会は先ず入浴から始まる。11時頃から約一時間かけてゆったりと入浴しSKB会様お部屋の方で会食をしながらの宴会であった。昔と一寸違うのは皆様お酒の量ががっくりと落ちているということだ。矢張り口ではでかいことを言っても、身体は着実に衰えているということを実感した。

夜は我が家でご近所の方と会食。これが一番落ち着く。

 

 

 

 

 

  1月24日(土)曇 竹炭  

 

 

先日焼いた竹炭を取り出した。これを取り出すためには火口の所から土を取り除き、厚さ30cm位の土の壁も取り除き、その奥に横たわっているドラム缶で作ってある釜の中にコンガリ焼けた竹炭があった。ナールホド、こうやってやるんだ。感心したことは、これらを全て手作りでやったということだ。

早速二つの釜から竹炭を取り出した。あるわあるわ、奥の方に3段に詰めて入れた竹が見事炭になっていた。釜の中は未だ暖かい。これを取り出した後、今度は次のグループのために竹を丁寧に入れて、再び焼く作業が出来るように準備して終わりだ。これらの竹酢液や竹炭は盆踊りや色々な行事のときに格安で販売する。

午後は、法政大学の「多摩の歴史・文化・自然環境」研究会というのに参加して{府中、馬場大門のケヤキ並木の形成と保存」というテーマの講演を聴いてきた。

府中は現役時代の職場のある所なので、ケヤキ並木は良く知っている。このケヤキが800年も生き続けていること、この保存のために昭和32年に大賀蓮で有名な大賀一郎博士が保存についての調査活動を始め、市行政が動き出したという経緯があるとのこと。100人くらいの出席者で皆様、かなり真剣に聴講していた。一番感心したことは講師の馬場治子さんの古文書の調査力である。私には全く理解不能な古文書を解読しこれを系統的に整理し流れをつかむということがどれほど大変なことかと思うと、尊敬の気持ちで一杯になった。

 

 

 

 

 

 

1月23日(金)晴

異臭

 

 

 

昨日1リットルの竹酢液を頂いてきて毛髪の増強に役立つという言葉を期待して、早速鍋に入れてゴトゴト煮立てた。一時間沸騰しないように注意してやった。うまくいった。待てよ・・・・ストーブの上においてやったら、部屋中が竹酢液の何ともいえない異様な匂いが充満してしまった。これが中々取れない。どうしよう。

mmxの〇さんから近くの七国峠付近でダイアモンド富士を拝むことが出来るという情報を頂き、お友達にも声をかけて4人で歩いていった。七国峠では多分富士山の眺望が余り期待できないので、隣町の八王子栃谷戸公園に行って見ることとした。しかも皆様の意見で歩いていこうということになり、私は今日は二度目のウォーキングになってしまった。栃谷戸公園の展望台でチェックしてみたが、太陽が大分東よりにずれている。矢張り七国峠でなければダメなんだ。でも周りにはデカイ望遠レンズをセットして待ち構えているオッサン達が6〜7人居た。400mmの望遠と赤色フィルターを装備したオッサンのカメラを除かせてもらった。ダイアモンド富士は見込めなかったが、富士の北斜面が美しく赤く輝いているのをチェックすることが出来た。ラッキー。

 

 

 

 

 

 

 

1月22日(木)晴

竹炭焼き

 

 

 

朝3時起床。4時に竹炭焼き集合。10人位のJAO(ジャオー会)Dグループのメンバーが出席。前のCグループの方が点火前の状態まで準備しておいてくれてあるので、4時過ぎに点火。二つの釜の入り口のところでもしきを燃やし、外からブロアーで空気が奥に流れるように巧く吹き付ける。30分くらいやっていたら手が痺れてきて回復に一時間くらいかかってしまった。5時過ぎに漸く釜の方に点火したようで、後は火口を少しずつ調整していく。明るくなったら釜揚げうどんを調理してみんなで食べる。このうどんが美味い。みんなでぺロッと平らげてしまった。後は炭が焼けるまで竹笹の葉を燃やしたり、以降ののグループのために竹を切って炭焼き準備をする。物凄く忙しいけれど、みんなでやるから楽しい。その内小学校の生徒達が先生と一緒に炭焼きの見学に来た。昼食も釜揚げうどんだ。今度は卵付き。お酒ちゃんを飲みながら頂く昼食は最高。
   
いよいよ点火 良く燃えている ワイワイと竹割

2時頃に煙が薄くなり、火を消し空気を遮断した。これで明日一日放っておいて24日に炭を取り出す。作業の中で竹炭の効用を沢山聞いた。中でも気に入ったのは竹酢液で剥げた所から毛が生えてくるということであった。竹酢液を沸騰させずに一時間くらい熱してこれを、24時間くらい放置しておくと、液が3層に分離する。ここから最下層のタールを取り除いてやり、これで完成。この液を80倍くらいに薄めて目的の所に吹き付ければ言いそうだ。簡単だ。これはグッドニュース。早速やってみよう。

3時過ぎにこの竹酢液を沢山貰って帰宅。

 

 

 

 

 

 

1月21日(水)曇

ヤッター

 

 

 

やったー。
私の仕事が漸く決まった。4月から働くことになるが、今度は大変だ。英語力が不足しているので勉強するようにとのアドバイス付きなので、パワーアップが必要だ。町内会の仕事もできなくなるので本日相談役のお宅にご報告に伺い、了解を得た。未知の世界への挑戦なので生命を賭けて頑張る。

午前中竹の子とあすなろをこなしてきた。あすなろでは新しい曲を頂いた。今までは童謡とか簡単な懐メロであったが、今度は一寸難しい「人生の並木道」とか「星影のワルツ」などに昇格した。頑張るぞー。

 

 

       

 

1月20日(火)晴

イラクの自衛隊

 

 

 

快晴の天気になった。久しぶりに竹の子で汗を流そう。しかしコートは雪の影響で凍っっており使用不能。8人くらいの仲間と塩カリをまいた。この塩カリ、一袋1,000円以上するという。驚いた。今ATCには50袋以上もある。これは良い金になるな。盗難されないか不安になった。
陸上自衛隊の先遣隊がイラクに入った。第三者の客観的な意見としては日本も世界の平和と安定のためにイラク復興に貢献、支援することは必要なのではないかと思う。自衛隊の方々は大変なご苦労と生命の危険を冒して活動して頂くのは忍びないとは思うが、これも仕方が無いという考え方であった。昨日までは・・・・
今日、家内の姪っ子の旦那様がイラクに派遣されるという話を聞いて動転してしまった。エエッ?、彼が?。彼は確か教育関係の教導隊って言っていたと思うけど何故?・・・。こうなると私の考え方は180°変わってしまった。最悪の事態を考えると、彼には行って欲しくない。イラクの支援は必要だけど身内の人には危険な所には行って欲しくない。一週間後に先遣隊の人が帰国して状況報告後、本体派遣の結論を出すという。危険だから中止ということになって欲しい。或いは彼がメンバーから外れて欲しい。

ことほど左様に客観論と主観論は自身に影響が及ぶと全く逆の考えになってしまう。複雑な心境だ。

 

 

 

 

 

 

1月19日(月)雪後晴

自転車運転マナー

 

 

 

目覚ましの乾電池を交換して一安心。セットをするのを忘れてしまい、またまた寝坊。目が覚めたのは5時前になってしまった。急いで起きて雨戸を開けたら、外は雨。良かった、ウォーキングは休みだ。この雨って今年初めてではなかろうか。その内雪になってきた。雪は困る。コートが使えなくなってしまう。でも、午後からは太陽が出てきてみんな溶かしてくれた。ありがたい。

昨年あたりから、脚力強化のために自転車をよく利用する。車は殆ど乗らない。昨年、交通安全週間の時に交通安全協会の方々と町田街道の交差点で立ち番をした。ここで思い出したのが、自転車に乗って街道沿いの歩道を走るのは本当はいけないのであるが、警察では黙認している。自転車の前に歩行者が居た場合はチリンチリンのベルを鳴らしてはいけないんだそうだ。”スミマセーン”と可愛らしく言って道を開けてもらうのが礼儀なのだそうだ。何故ならそこは歩行者優先の道だから・・・。知らなかった。それと、二人乗りはもちろん、ウォークマンのようなものを聞きながら自転車に乗るのもいけないんだそうだ。勿論のことであるが酔払い運転もいけないんだって・・・。世の中段々厳しくなる。その内酔っ払い歩行も処罰の対象になったりする時代が来るかも・・・。困ったもんだ。

 

 

 

1月18日(日)晴

塩カリ、ヒレ酒

 

 

 

昨夜遅くまで会議があったこともありまた、目覚し時計の電池が切れていたこともあり久しぶりの寝坊をしてしまった。驚いたことに昨日の雪は道には殆どなくなっていた。昼頃、昨日塩カリをまいた効果が出ているか、もしやの期待を込めてコートに行って見た、驚いたことに殆ど使用可能な状態で私達を待っているような状態であった。ローラーをかけて二面とも使えるようにして、皆様に声をかけて3セットを楽しんだ。昨日塩カリをまいておいて本当に良かった。先輩の言うことに間違いはない。

テニスで汗を流した後夕刻、いつものメンバーの町山夫妻、松下さん達と軽く一杯やった。ここで面白いことを発見した。お寿司を食べてビールの後にヒレ酒を飲んだ。香りと味が良くてお気に入りの一品である。二杯目は経費節減のために熱燗だけを頼んで残ったヒレにこれを足して飲んだ。ウーン、これもいける。三倍目をどうしようか考えたが、お開きの時間となり、二人分のヒレを自宅に持ち帰り我が家で熱燗を入れてやってみた。結果はどうだったでしょうか・・・・・・

ダメでした。何が悪いのか分からなかったが、味も香りも全くなくなっていた。ウーン、それじゃあ今度トラフグを釣って自分で尻尾を焼いてやってみよう。

 

 

 

1月17日(土)雪

朝から小雪がぱらつき、夕刻から本格的に降りだした。

今までMoに収録していたディジタルカメラの写真ファイルをDVD-Rに移し変えた。Moの場合640Mbで最初のうちは満足であったが、大容量記憶媒体が出現した今日ではその価値は大きく低下した。Mo2枚分の媒体を記録しても未だ半分の容量にも満たない(4.7Gb)のであるから、今の所は大満足だ。アクセスが一寸遅いのが気になるが・・・

テニスコート管理のベテランの稲垣さんから、塩カリをまいておいた方がいいということで、5人ぐらいで二面のコート一杯にまいた。しかしこの雪では・・・・。その後私共夫婦と町山さんご夫妻でみなみ野までウォーキング。良いお店を発見した。早い夕食をバーミャンというところで中華を食べた。このお店もチェーン店のようであるが、とても安上がりのお食事をとることができてラッキーであった。

夜は町内会の相談役にも出席して頂いて役員会議であった。本日の議題は規約改正。今年度から町会長の選出方法及び任期が二年に変更になり、一年近くやってみた結果、色々なノウハウを合理的に継承するためには、町会長だけでなく役員も二年として、これを半数ずつ交代する方法がベストと考えて提案したが、4月までの間にステップを踏むと時間的に無理という意見が多数を占め、来年度に申し送りすることになった。グッドアイディアであり問題なく通過すると思っていたが意外な落とし穴にかかってしまった。詰めの甘さを反省する。

 

 

 

1月16日(金)晴

昨年8月に開催した納涼盆踊り大会以来、法政大学とのつながりが密になっている。その後多摩キャンパスコンサートや箱根駅伝壮行会に参加したり、先日挙行したどんど焼きなどの際には差し入れを頂いたりした。また当日は 、学生と地域を結ぶ「相原プロジェクト」リーダーの細野君たちも駆けつけてくれたりもした。そして本日、第70回「多摩の歴史・文化・自然環境」研究会の開催案内も頂くことができた。1月24日開催で今回のテーマは”府中「馬場大門のケヤキ並木」の形成と保存”と題して府中市の郷土の森博物館から講演者が来て下さる。これは面白そうだ。参加してみよう。

町内会はただ行政からの通知を回覧するだけでなく、文化的事業も推進して会員の教養を高める努力も必要であり、そのためにとても良いイベントであると考える。相原には法政大学だけでなく、東京造形大学や家政学院大学もあり、そちらの方ともコンタクトを深めて相互に助け合いたいものである。
法政大学の佐藤主任様有難うございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

1月15日(木)晴

一日中家の中に引きこもって資料作成を行った。深夜に何とか完成。良かった。

ニュースではアメリカのブッシュ大統領が月面基地を作るという巨大な計画を発表し、また火星に着陸したマーズ・ローバー・スピリットがいよいよ台座から降りた。大成功である。火星に生物が居たら驚くだろうな。空からいきなり丸いものが落ちてきて、これが弾みながら着地し、丸い布切れがパッと開いて、そこから変な乗り物みたいのものが出てきて、少しずつ音も無く動くのであるから・・・・・・
日本のおとぎ話の世界で桃太郎とかかぐや姫の話が現実に起きたようなものなのだから・・・

朝ウォーキングをしていると空には月が燦燦と輝いている。これを見ていてふと思ったことは、物理の法則でエネルギー不滅の法則というやつがある。エネルギーは決してなくなる事がない。言い換えると無い所からは決して出てこないということか。マーズ・ローバーは太陽からのエネルギーを電気に変換して自力走行しているからこの法則は当てはまるが、月や地球の自転や公転は何処からそのエネルギーを受けているのであろうか?しかも決まったスピードで、また決まったコースを回り続けるという現象はこのエネルギー不滅の法則が適用されていないのではないか?

こんな話は子供の頃勉強した記憶があるが今はもう忘れてしまった。私の頭の記憶エネルギーも不滅ではなかった。

 

 

 

1月14日(水)晴

昼からあすなろ会の新年会をやった。今の所尺八グループは会員6人で今日はその内の4名が参加した。尺八をピーピー鳴らしながら乙音とか甲音をどうやって出すかなど激論をしながら飲んでいると時の経つのを忘れてしまう。

その内家内からпB2時から先日提出した要望書「通学路の事故予防対策」について市役所の方が待っている、とのことで宴会を中座して現場に急行した。子供会長さん達が集まっており、遅刻を詫びて市の説明を聞いた。奇異に感じたことがある。写真ような道路で、ここは管理部門が三つあるという。車や人が通る所はの管理、左側の柵の外側の下部に流れる用水路は国土交通省(建設省)、そして道と用水路の間の斜面は財務省(大蔵省)の管理となっているとのこと。そこまでキッチリしておかないと国の中は巧く収まらないのであろうか。市役所の担当の方はこの道路の危険性を良く認識してくれており、審査委員会にかけて予算を取る努力をしてくれるとのことで一安心。次の策として交通規制を警察に相談に行こうと思う。この後、再び宴会場で皆様と楽しい尺八談義を続けた。

 

 

 

1月13日(火)晴

家内と恒例の喧嘩をした。原因は何時も同じで家内の行動に対して私が厳しく注意すると反論が返ってきて、これが増幅する。私の注意の仕方が厳し過ぎるという所もあるかもしれないが、どうしてもお互いが我が儘になっている。ここで思い出すのが二つの言葉だ。家内にこの意味を良く分からせてやりたい。

「真実は不愉快なり」・・・・誰の言葉か分からない。

「友達は自分をおだててくれる。敵は自分を馬鹿だと言う。友達によって自分を見失い、敵によって自分を知ることができる」・・・・・・シェークスピア

午後から、横浜の港北区でパソコンボランティア、Dream Navigator Yokohamaのメンバーの方々とお話する機会を頂き勉強になった。会社のOB会で幹事の仕事でご指導いただいた宮田さんの紹介による。皆様超多忙な中でもとても明るく楽しそうな雰囲気であった。とても羨ましい。そこにラオスから一年間の予定で来日し、障害者リーダー育成事業の研修を受けるスパタ・スワナウォンさんとお話させていただいた。車椅子に乗られているがとても明るく、私のブロークンイングリッシュを一生懸命聞いてくれて答えてくれた。嬉しくなってしまった。滞在期間中にまた時間を割いてゆっくりお話したい。スパタさんコープチャイ(有難う)、ソークディ(お元気で)

 

 

 

1月12日(月)晴

町内会の規約入力が漸く一通り終わった。これで一安心だ。

町内会で相原幼稚園の評議員推薦委員会を開催した。この幼稚園は我が家の子供達もお世話になった園だ。広い敷地と周りには緑が沢山ある。明治8年に開設され、100年以上続いている。大きな特徴は個人とか、企業による経営ではなく相原保善会や町内会が主体となって設立された経緯があることもあり、34人で構成された理事長、理事、評議員により経営を行っている。この34人は無報酬で地域のために尽くしている。故に町内会の運営と同じように何もやらなくても運営はそこそこ行われるが、情熱を持って行動すると沢山やることがある。そこで今皆様が頭を痛めていることは、校舎が老朽化しており、これをどうするかということだそうである。新築するには何億円もかかり、この資金をどのように調達するかで激論が続いているそうである。

企業や国の場合は、バラ色の長期ビジョンを立ててこれを巧みにプレゼンテーションしたり、説得すれば何とか予算を確保することができることが多いが、この幼稚園の場合、大きな責任が伴わない言わばボランティアによる運営なので、大きな禍根を残さず、皆が納得できる資金調達方法を考えるということが至難の業のような気がする。 このような形式で運営している幼稚園は日本でただ一つだそうである。
評議員の皆様、ご苦労が多いことと思いますが頑張ってください。

 

 

 

1月11日(日)晴

町内会で今年度最後の公式行事、餅つき大会、とどんど焼きを挙行した。

従来はどんど焼き行事だけであったが今年は役員の皆様が、餅つきをやろうということでやってみたが大成功であった。

餅つきの方は町内会役員の長田さんが道具一式、およびつき方まで全て面倒見てくれた。餅は全部で5臼。つき上がった餅は子供会のお母様たちが小さくちぎって、きな粉、小豆、納豆、わさび醤油などに作ってくれたものを頂いた。美味かった。子供達や大人の方々も大喜びで食べると同時に、餅つきという最近余り見かけない光景を楽しんでくれた。私は端の方で焚き火の傍に突きつけた孟宗竹のお燗を、孟宗竹のお銚子で 御餅を肴にしてグイグイといってしまった。

午後はどんど焼きである。これを組み立てて実際に火をつけるところを経験したのは生まれて始めてであったので、余りの壮絶さに驚いた。消防団の方々に対応していただく訳が分かった。火が収まって今度は小さなお団子を木の枝に刺しておき火にかざしてこれを食べた。トン汁やミカンやお酒と一緒に。これでこの一年間は風邪を引かないそうである。

餅つきもどんど焼きも120人位の方々が集まってくれて盛大ではあったが、もっともっと町内会中のすべての方が参加してくれたらもっと嬉しかった。来年知恵を絞って更に良くしよう。役員、子供会、親友会の皆様一日大変有難うございました。特に長老の吉川様本当に有難うございました。また、野菜や孟宗竹を提供していただいた津田様、渡辺様絶大なご協力を有難うございました。

夜は、第五分団第四部の新年会であった。消防団の皆様は今日は出初式や各地区のどんど焼きの対応で大変な一日であったが、元気で明るく笑いが絶えない宴であった。驚いたのは副団長の原さんが私のホームページをカラープリントで皆様に紹介してくれたことである。色々な方が訪れてくださるこのホームページ、もっと真面目にクイックに更新しなければならないということを強く感じた。

 

 

 

1月10日(土)晴

今日は現役時代の朝練テニス仲間の新年会であったが、家の方の用事でどうしても参加できなかった。残念・・・・。
明日の餅つき/どんど焼きの準備をした。買い物をしたり大鍋を借りてきたり・・・・・
この中で二つ新たな発見をした。
一つはどんど焼きの語源だ。
長老の方と役員の方がどんど焼きで使う孟宗竹を切断して加工されていた。丁度そこに行ったところ色々な話となり、どんど焼きの真中の柱にこの孟宗竹を使って火を燃やすと「ドカーン」「ドーン」という大きな音がするそうだ。ここからどんど焼きの言葉が生まれたとのことである。
二つ目はこの孟宗竹の秘密だ。
直径が10cmくらいある竹の切り口から水分が滴っていた。これを舐めてみなということで、舐めてみた。「ウーン、??」、経験のある方はご存知のことと思うが、甘い!!とても甘いのだ。私達の住むこの町には孟宗竹が一杯ある。この甘さを何かに利用できないものであろうか。そこでまた一つ教わった 訳であるが、明日のどんど焼きの時にこの竹を上下斜めに切断して上の方からお酒を注いで下の方を火の傍に突き刺してお燗をする。これが美味い。何故か。要するにお酒と先ほどの甘味成分が融合して絶妙な味になるという。なーるほど・・・・。この町の長老の方は色々なことを何でも知っておられる。
明日が待ち遠しい・・・・

 

 

 

1月9日(金)晴

今、町内会の規約を入力中だ。
この規約、今までのものはモトヤのフォントで作ってあり、これをマイクロソフトに変換できないか、専門家の方にお願いしたがどうやら無理のようであったので仕方なくシコシコ手入力をしている。そのおかげで昨晩から久しぶりに徹夜をしてしまった。未だ 終わらない。
朝、駅の西口に仮設のロータリーができるというので市役所の担当の方、業者の方と打ち合わせを行ってきた。
この話の中で、一番気になったのが不法駐輪である。長方形の土地の真ん中に花壇のようなものを作り、自転車を入れないようにする。ロータリーの外周は駐車禁止の白線を引くということであったが、これでは絶対に自転車を止めてしまうので、外周にも花と柵を設けてもらうことにした。これで果たして不法駐輪を防げるであろうか。
それにしても、物凄い。駅の西口が常時開放されるようになって7ヶ月が経っただけなのに、物凄い数の自転車がそこここに止まっている。 とにかくそばに空き地があれば停めてしまう。最初のうちは数台、これを黙認するとドカーンと増えてしまう。
そして自転車を止められないように税金を使って色んな手を打つ・・・・・。
 何となく割り切れない気分だ。

 

 

 

1月8日(木)晴

午前中久しぶりに「竹の子」の練習会に参加した。この「竹の子」クラブはシニアの方や女性軍が参加してテニスを楽しむのであるが、私は皆様とのコミュニケーションと軽い汗を流すのが主たる目的で参加している。午後は公会堂で、11日(日)に開催する町内会の餅つき大会/どんど焼き行事で使用する材料を、専門部長の長田さんとチェックした。長田さんは水の大家でこれで思い出したのが、今日の新聞差込にあった東京都発行の「水道ニュース」の記事であった。それによると、地球上に存在する水の量は地球が誕生した時から変わっていないのに、水が不足してきている。何故か?。人口増加→食料需要増大→食糧生産の為の水需要増大→水不足、というパターンだそうだ。そして水の内訳は海水が97.5%、淡水が2.5%。この2.5%の大部分は南極や北極の氷や氷河で、人が利用できる水は全体の0.01%だとのことである。これを分かりやすく喩えると、地球全体の水がお風呂一杯の水とすると、人間が生活に利用できる量は大さじ一杯分しか無いそうだ。ウヒャーーー、こんな少ししかないんだ。今まで余り意識したことが無かった水、本当に大切に使わなければいけないということが良く理解できた。21世紀はゴミと水問題が大きくクローズアップされると何かに書いてあったが、その内深刻な事態になりかねない問題だ。

 

 

 

1月7日(水)晴

今朝も家内が朝ウォーキングに一緒に付いてきた。このウォーキングは一人でシャカシャカ歩いて色々なことを考えるのにとても良い時間でもあるが、家内が付いてくるとお喋りがあるので気持ちが集中できない所もあるが仕方がない。多分長続きしないであろう。私が気に入っているのは多くの人が未だ眠っている時に自分だけ良いことをしているようで何やら物凄く得をした気分になることである。

午前中は「あすなろ会」の練習日であった。2月7日(土)に老人ホームで慰問演奏を行う予定となっており、本日演奏曲目12曲が確定した。これからハッチャキでピーヒャラ吹かなければならない。楽器は大正琴と尺八、それと三味線が入る可能性がある。

思えばこの「あすなろ」(尺八を中心とした仲間のグループ)も「竹の子」(ATCの主にシニアメンバーを中心としたテニスグループ)も私が命名したものであるが、中々良い名前だと悦に入っている。あすなろは明日こそ本物になろうという意気込みが感じられるし、竹の子はぐんぐん伸びる成長を感じさせる。それに春になるとテニスの後、竹の子採りにも行く。次は何のグループを作ろうかな・・・

 

 

  1月6日(火)晴

昨日は尺八、今日はフルートのレッスン初日であった。尺八は比較的テンポが遅い曲を中心に練習しているので何とかついていけるが、フルートの場合は8分とか16分音符が続くと指と上体に力が入って巧く吹けない。今日はこの正月休みに色々試した基本的な点を神谷先生に聞いてみた。そして分かったことは左手の人差し指の腹と右手親指、および唇の三点支持がしっかり固まっていないことと、右小指が真っ直ぐの状態でキーを押さえているため速いテンポの場合に右小指に力が入ってしまい、フルート本体が手前側に回転してしまい、このために音が出辛くなるということが判明した。これは大収穫である。今年はフルートも尺八も一皮剥けるかも知れない・・・・

夜は連合町会の役員会で会議の後、新年会であった。この中で法政大学が4位に入賞したことについて現在祝勝会の話が進んでいるという。これは素晴らしいぞ。この連合町会も又町内会の役員も節目の一年がもう直ぐ過ぎてしまう。時の流れの速さに驚いている。

 

 
  1月5日(月)晴

朝から尺八グループ(あすなろ会)の初吹きを高尾の五十嵐さん宅のカラオケルームで行った。五十嵐さんは尺八の権威でご自分でも尺八を作ってしまう方だ。私の尺八も五十嵐さんにメリ用の穴を空けて貰った。ということで、初吹きとはいっても、五十嵐さんに私たちの吹き方をチェックしてもらうことが一番大きな目的であった。私は開いた指がかざし気味である、右手の親指が尺八の長手方向に向いていない、右手小指が”ロ”以外の時にも抑えてしまっている、タイ記号の吹き方などの指導を受けた。昼からは新年会を兼ねて一杯飲みながら鈴木さん演奏の三味線と合わせたり、カラオケをやったり、賑やかに楽しんだ。写真は鈴木さんの三味線と五十嵐さんの尺八合奏

 

 

 

1月4日(日)晴

昨日の爆飲で辛い朝起きだった。昼から子供達が集まることもあり、このままではやばいと思って、ATCで1セットだけゲームをやって汗を流した。嬉しいことに今年の初勝利を飾ることが出来た。今年4セット目だ。元旦の初打ちで家内達に負けてからは例の「はるうらら」モードで100連敗するのではないかと不安だった。良かった。

お昼に子供達がやってきた。森さん、美歌りん、唯ちゃん、貴士君、由美と由隆のオールキャストが集まった。先ずは皆で乾杯!!。家内が作った特製の塩辛は私の大好物につき、大切に食べたかったが皆に平らげられてしまった。残念・・・。飲むほどに酔うほどに賑やかになりカラオケに出かけた。着いたとたん睡魔に襲われ1時間くらい爆睡してしまった。その後帰宅してから再度の乾杯!!。 貴士君がプレゼントしてくれた「緑川」は特に美味しかった。由隆が送ってくれた高級和牛も美味かった。みんな腹一杯満足したようであった。特に茶碗蒸は好評であった。私も食べてみたが中々いけてた。 それと唯チャンの生誕を記念して植えた甘夏みかんが二つ実をつけて今日唯ちゃんによる収穫をして皆で食べた。物凄く酸っぱかったが5年の歳月を感じながら頂いた。私は9時前に睡魔に襲われお先に布団の中に入ってしまった。今年もこの小さな家族に幸多きことを祈りながら・・・

 

 

 

1月3日(土)晴

 

朝ウォーキングに家内が一緒に行くと言い出した。5時過ぎの未だ暗い中を二人で10km弱歩いた。いつもは一人でチャカチャカ歩くので運動着を着ていても直ぐ暑くなるが、今日ばかりはそうはいかず少しゆっくりと歩いたこともあり、指先が寒くて参った。

午前中はアルバム整理をしながら箱根駅伝の観戦であった。法政大学は見事4位に入った。先日の成田監督の予言通りであった。よくぞ頑張ってくれた。6区の白井君の走りが実に素晴らしかった。2位で7区に到着した時には祝勝会も頭にちらついてしまった。成田監督はじめ出場者、50人の部員の皆様本当におめでとうございます。来年は是非優勝を狙ってください。そういえば昨日の駅伝の中で5区の大東大学のランナーが疲れきった厳しい走りをしていた。TV解説者が汗が出てきているので相当参っているのではないか。と話していたが私はジョギングをやると5分も経つと汗がどんどん出てくる。普通ランニングでは汗が出ないものなのであろうか?

午後は新年会を二軒梯子してしまい、いささか参った。

 

 

  1月2日(金)

町内会役員3役の方と長老、相談役、親友会会長、子供会会長のお宅に新年の挨拶に伺った。皆様ハッピーなお姿で笑顔で迎えてくれた。 嬉しかった。今年も頑張るぞ!!

後は箱根駅伝をTVで応援した。私が住んでいるこの地には法政大学があり、昨年末には地元で応援しようという機運が高まり、駅前やバス停の所に大きな看板を立てたり、壮行会には地元有志の方々が60人以上も参加して応援熱が高まっている。壮行会では成田監督が今年は4位までには入れそうだ、と自信を持って言われていたが、その時は私の心の中では”??”という気分が強かった。しかし、一日目の成績は堂々の5位であった。監督の言われたことは正しそうだ。

 
  1月1日(木)

明けましておめでとうございます。昨夜はボブサップと曙の試合を見て、何となく空しい気持ちの中でホームページを新年用に書き替えした。

今朝は大快晴の中を毎年恒例の元旦ジョギングに出かけた。未だ暗い朝6時前に集合し、新年の挨拶、体操の後出発。今年は120人位の方が参加し盛大であった。私が走ったAコースは途中から山の中に入り七国峠を散策するように走る。2km弱をゆっくり走り大日様に到着。そこから木の間隠れに顔を出す初日の出を拝む。

改めて新年の挨拶をした後は出発点に戻り、美味しいお汁粉を食べた。役員の皆様ありがとう。その後は恒例のATCの初打ちだ。このために30日にタップリと塩カリを撒いておいたのでコンディションは最高であった。ちょうど8人が集まり2面を使って初ゲームを楽しんだ。私は家内チームを相手にしたが敗れてしまった。

その後クラブ小屋で皆が持ってきてくれたイカの刺身、オデン、ビール、日本酒2本、などで新春祝賀会を盛大に行い午後解散と相成った。毎年おなじみの行事ではあるがジョギングもランニングももっともっと人が集まれば楽しいのに・・・・・と思っている。