3.母の病院引越:2002-1-9:葉山清寿苑にて

母は2000年(平成12年)3月に脳梗塞で倒れて以来病院生活を送っている。今まで老人健康福祉施設 (グリーンハウス逗子)に入院していたが、この度めでたく、特別養護老人ホームの葉山清寿苑に入所 できることになった。この日は引越しだ。一年以上もお世話になった方々との別れは辛い。とっても居 心地が良い病院なのだ。理事長さん始めそこに居る方全員が明るく親切なのだ。看護婦さん、医師の先 生、職員の方々、それに入院患者の皆様一人一人と涙の別れであった。でも、こんなに多くの方々に別 れを惜しんで貰える母は幸せ者だ。引越しは事務的に済ませようと考えていた私が間違っていた。皆様 が別れを惜しんで一歩進んで二歩下がるといった感じで部屋から玄関に出るまで小一時間かかってしま った。こんな所に母の人柄を垣間見る事が出来た。グり-ンハウス逗子を後にして母の思い出の場所を 通って葉山清寿苑に向かった。国道134号線〜風早橋〜木下橋〜家に通じる小道〜海岸通り〜森戸橋〜 森戸神社〜母の生まれた家の傍〜潮騒公園〜葉山御用邸〜葉山清寿苑を通った。何処もここも母にと っては思い出深い場所であった。感嘆の叫びが続く。この道を数年前には自分の足で歩いていたのに と思うと時間経過の速さを凄く感じる。

葉山清寿苑ではケアマネージャの藤原さん始め皆様が歓迎してくれて、心温まる雰囲気があった。 思わず藤原さんに聞いてしまった。“清寿苑のように老人福祉のお仕事をやっている方々はどうし て明るく皆様親切なのですか?”、答えは“これが仕事だからです”。とても感動した。私は会社 の仕事で顧客満足度を向上させるための施策作りを種々やってきたが到底ここまでは出来ない。私 が知っている企業でこれほどの満足感を与えてくれる会社はお目にかかったことがない。母も良い 所に入所する事が出来て幸せ者と言える。引っ越してきた荷物の整理に口うるさい。下着は下の引 出し。とか、溜まった古新聞を捨てたら、読むのだから捨てないように、とのことで取り戻しに。 といった具合で、身体の駆動系は少し弱っているが、オツムの方は健康そのものだ。同じ葉山の方 々が入所しているので直ぐお友達が出来てしまった。まるで10年以上も住み続けているようだ。 良かった。私も年老いたらこのような環境下で生活したい。

当日の様子はここをクリックすると写真を見ることが出来ます。

 2.末娘が嫁いでしまった:2000年(平成12年)11月11日

末娘の由美がとうとう嫁いでしまった。肩の重荷がようやく取れたという想いと、何か大切な物を失って しまったという複雑な気持である。でも、昨日一緒に祝ってくれた姉や親戚の方々、また友達の町山ATC会長 や井手先生など皆様が新郎の貴士君をいたく気に入ってくれたのが大きな慰めになった。またH家のご 両親も素晴らしいご夫婦なので由美も安心して嫁げたのだろう。T君、H様由美を宜しくお願いしま す。T君、由美がプレゼントしてくれたパークハイヤットホテルでクリスマスディナーを楽しみにしてお ります。当日の記事写真はここをクリックすれば見ることができます。

1.峠君一家のこと:2000年(平成12年)5月3日

 会社で同じ職場で働いていた峠君の奥様から組合機関誌を送っていただいた。 1999年11月のことだ。ここに峠君一家の記事が載っていた。とても嬉しくなってこ の記事をインターネットに載せますと約束して早半年。ようやく約束が果たせた。

 峠君とは色々あって、仕事では他の部門から私達の部に異動してもらったり 、結婚式に呼んで頂いたり、旦那からは仕事の中身を教えてもらい、美人の奥様 からは人生観についての有意義な話も聞いた。一番感心したことは、お二人の結 婚記念日には挙式のビデオを観て初心を忘れないようにしているとのことだ。凄 いっ!!。また、奥様は毎日5時前に起きて家事をテキパキとこなしているとの こと。優輝君も生まれますます充実した峠君一家。若手技術者の模範家庭にな って下さい。期待しております。

下の写真が機関誌に載った内容です。腕が未熟のためボケてしまいました。 済みません。上達したら直します。また写真をクリックすると大きくなります。

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掲載全景

個別内容です。

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優輝君誕生前の二人

最近の雄輝君

(2000-6-4)