今まで家で居候していて早く出て行ってもらいたいという気持ちが強かった。由美さえ居なければ我が家は無駄な出費も無くなり醜い争いもなくなるのでは・・・・と由美を疫病神のように内心思ってきたところがあった。
いざ、現実に巣立ってしまって感じることは、私自身、何て不遜な人間だったのだろうかという自責の念と、後悔の涙だけである。何やら肋骨の骨が一本なくなってしまったような、家の屋根がなくなってしまったような、言葉では表すことが出来ない寂しさを強く感じる。
とうとうこの日に挙式することになった。
思えば今年の始め、由美が私に合わせたい人が居るけど連れて来て良いかと問われた。この頃、由美は連日深夜に帰宅し、土、日曜日は黙ってどこかに出かけて行く日々の連続であった。親としてみれば、どんな人間と付き合っているのだろう?何処へ行くのだろう?色々な疑問と共に、大きな不安が芽生えていた。また、自分のことだけに夢中になって家族のことを無視した行動は許せない、という不満が増大していった。
この数ヶ月前、由美の髪を見て一瞬目の前が暗黒になった。髪の毛の一部が茶髪になっていたのである。(それほど目立つものではなかったが…)私は茶髪は好まない。人間の価値観は人それぞれ異なっており、尊重する必要がある事は十分理解しているつもりであるが、少なくとも我が家においては同じ価値観を共有したい、と願っていたし、指導もしてきたし、無条件に理解してくれるものと確信していたのに。…
これが何と、私が最も嫌う茶髪にするとは…。
私が茶髪を嫌う理由は、神様から預かったこの身体を加工することは、全く必要ない。ただ、現代社会人としての(日本人としてのものではない)一般的なモラルと生活環境を考えて、必要と思われることは最小限の範囲で仕方がない。(毛髪を切る、ヒゲを剃る、爪を切るetc)故に極端な話、女性の化粧などは最小限にすべきと考える。でもマニュキアやピアスなどは絶対に嫌いだ。そんな考えの私の目の前に、堂々と茶髪姿を披露する娘など絶対に許す訳にはいかなかった。
一ヶ月以内に元に戻すか家を出ていくか、どちらかを選択するようにと厳しい宣告をした。
一ヶ月としたのは、由美が家内に美容院に行き、眠っていたら知らぬ間に茶髪にさせられた、との言い訳をしたため、そんなことがある筈はないと思いながら、末っ子と云うことで甘やかせてしまったものだ。本来なら、即座に坊主にするか、家を出ろと言っていたはずなのである。そんなこともあり、私は表面的にも、また昔、可愛がっていた時の数%の愛情しか、由美に抱くことが出来なくなってしまった。そして自ら由美との会話を避けるようになっていた。
そんな由美が合わせたい人が居ると言った時、一瞬、歓喜と孤独な気持ちが同時に心を占めた。しかし、連夜の深夜帰宅、無断外泊、茶髪、など自分勝手な行動が目立っていたこともあり、私は冷酷にも“来たい人が居るなら来ても良いが、その人が結婚の相談に来るとしたのなら、私が何といえば良いのか教えなさい。その通りに言ってあげるから。お父さんは、昔の可愛かった頃の由美はもう、とっくの昔に死んでしまっており、心の中には居ないし、今、目の前に居る由美は、他人だと思っているのだから…・・故に由美が結婚したいのなら、自分で勝手に結婚しなさい。お父さんに相談なんかする必要はない。”と言った。ちょっと厳しいかとも思ったが、今まで甘やかせてきたつけを私自身で清算することと、由美自身に反省してもらう必要がある、と考えた故であった。由美は、泣きながらそう云う事なら相手に来てもらわないし、自分で行動する、との返事であった。寂しい思いをしたが、ここは男の子、ぐっと踏ん張って了解した。こんな年の子供が居る家でも家庭崩壊などがあるのかなどと思った。
数日して由美から自分勝手な行動をしてごめんなさい。お父さんの言うことが良く理解できた。今後改めるので許して欲しい。また結婚したい相手と会って欲しい、と泣きながら頼まれ、心の中で“しめたっ!!”と思いながらも真面目な顔をしてそう云う事なら会おうと云うことになった。
ということで、2000年1月22日にT君が我が家にやってくることになった。今度は別な心配事が芽生えた。T君が茶髪だったり、クルクル髪だったり、カッコだけの人間だったらどうしよう…・。ここは深刻に考えた。野球が好きと云う事だけは聞いた。野球をやる奴は、茶髪も含めユニークな髪形が多い。どうしよう、どうしよう…・。無益な自問自答が続いた。ここで出した結論は、由美は、私の心の中を良く理解しており、私の価値観を、認識している。故に私と同じ価値観を、共有できる人しか連れてこないはずであるから、心配無用である。しかし由美が茶髪にしていた時には、彼と付き合っていたはずであるから、万が一そのような人間を連れてきたら、二人の話だけは聞くこととして、“結婚させてください”と来たら、成人を過ぎているのであるから、自分達の自由にするように、と言って、本日は気分がすぐれないから休む、と言って寝てしまおう、と云う万全の対策を考えておいた。
T君がやって来た。
先ず確認。茶髪???ちがった。一安心。しかし、驚いたことは実にでかい。童顔で穢れを知らぬ好青年といった感じで、それまでの不安が一気に吹っ飛んでしまった。早速ビールで大乾杯!!この時のビールの味を今でも忘れない。大不安の後の大安心。親って本当に、いつも取り越し苦労ばかりしている損なものだ。
結婚したいけど、今年はT君のお姉さんが結婚するので、本人達は来年結婚したいと云う。確かに、T君のご両親のことを考えれば、当然のことかとは思うが、私としては27歳の娘のことしか考えず、“そんなことで決めるのではなく、二人の人生設計を立てて結婚時期を決めるべきであり、今年でも別に良いんじゃない”、などと、勝手な事を言ってトントン拍子でこの日に決まった。
3月19日、貴士君のご両親が食事に招待してくれた。御両親、T君のお姉様、私達夫婦、T君&由美で、新宿の大東京飯店で中華料理をご馳走になった。H家は、ご両親様が実に素晴らしい人格者で、お二人の姉弟も、ご両親様の人柄がそのまま引き継がれていた。お父様の強健な体格、これを支える、お母様の全てを包み込む包容力、こんなご夫婦が、T君のような純真な心の青年を育てるのである、ということが直ぐに理解できた。
ご両親様たちと打ち解けるのに時間は不要であった。最初の乾杯の前から、もう、50年来の旧知の仲間のように打ち解け、会話が進んだ。お父様が建設関係の大企業でお仕事をしていたこと、沖縄海洋博覧会でのお仕事の思い出など、またお父様のご出身地の仙台のこと、私達のテニスのこと、絵のこと、フルートのこと、詩吟のこと、はてはテニスユートピアのこと、などなど…・・時間はいくらあっても足りない。あっという間の3時間であった。これでお開き。
由美とT君は勝手に何処にでも行けば…・・
私たちは意気投合し、住友クラブのレストランで再びビールを飲みながら会話に夢中になった。気がついたら、私達5人以外に、由美とT君も同席していた。でも、私達にとっては、もう彼らはどうでも良かった。今日は彼等が主役の日だと云うことも忘れて……会話に余りにも夢中になり、知らず知らずの内に、大声で話し合っていたのであろう。いつものチーフの方と思われる方がやってきて、“Volumeが大きいようで…)とクレームをつけられて初めて、私達が自分の世界に浸りきっていた、と云う事を悟った。その場で私が約束したことは、4月29日のビールの日に、一緒にビールの味を楽しみましょうね、と云うことと、由美たちの挙式後の披露宴で、私がフルートを披露しようということであった。
私達の仲間は、4月29日をビールの日と呼んでいる。と云うのは、この日にサントリーの府中工場で、出来たてのモルツを、サービスしてくれるのだ。ここに毎年仲間達と参加している。かれこれ10年くらい続いているのであろうか。常連のメンバーは、ATC(相原テニスクラブ)の町山会長、伊藤さん、井手先生、八反食堂の中里社長、宮本先生と、これに料理を担当する、会長夫人と私の妻、昭子が加わる。このビールの日に、今年はH家ご夫妻と、T君のお姉さまが参加してくれた。焼き鳥や、たくさんの差し入れで、私達の宴をさらに盛り上げて下さった。何故か、由美も居たけれど、T君は仕事のようであった。サントリービールの宣伝をするわけではないがここの工場で生産する出来たてのモルツはうまい。自信を持って推薦できる。ここでH家のご両親様と私達を含め私のお友達などと楽しい会話のひと時を持つことが出来た。
5月13日、結納の儀であった。この日ご両親様とT君が、わざわざ我が家にご足労してくれた。これは、昭子が強く望んだために実現したようであるが、いかにも日本的だ。この日は、由美とT君がメインイベンターであるが、私は、不覚にも酔っ払って、寝込んでしまい、ご両親様をお見送りすることが出来なかった。
由美が我が家から巣立って、かれこれ一ヶ月が経つ。寂しさにも慣れてはきたが、矢張りつまらない。これが親の子離れが出来ないと云うことなのであろうか。私も弱い父親である。
由美へ
由美にとって良い父親でなくてゴメンね。これからは、一杯幸せになって下さい。今さら親孝行を期待するのは無理かもしれないけど、一番の親孝行は、お父さんより以上に自分が幸せになること、だと思うよ。そして、素晴らしい人格者であるご両親様のH家の一員に、させていただいた自身の幸せを、充分に認識すること。そして、T君以上にご両親様を大切にし、心から尊敬すること。この心を忘れずに、自分自身の人生計画をしっかり立てて、これの実現に努力すること。Our
life is too short.この言葉を、いつも考えて行動すること。要するにケチになってくださいと云うこと、時間に。
以上