沖縄の旅:康裕&昭子:2000年(平成12年)5月18日(木)〜21日(日)
5月18日(木):晴
自宅を5時過ぎに出発。羽田発8時15分JAL901便(JA8908)。
ひめゆりの塔〜平和記念館
第二次世界大戦においてもっとも悲惨な殺戮が行われたこの沖縄の地で その足跡をたどることができた。感動の連発であった。ひめゆりの塔の慰 霊塔の前に掘られた洞窟にビックリ。直径5m位の穴が掘ってありこの壁 面に今度は横に直径1mくらいの穴が水平に掘ってありここに兵隊や住人 が隠れていた。
記念館の中で感動したのは女子看護学生たちの手記だ。一部を紹介しよう
◎兵隊さんは死ぬ時”天皇陛下万歳”と言って死んでいくと聞いて いたけれど、実際は違っていた。皆が皆、最後に”お母さん!”と言 って息を引き取る。母は偉大なり。
◎ガマ(洞窟)の病院で治療を受けた人が復帰途中でまたまた負傷 しても医師は診てくれない。女子看護学生がいくら頼んでも診てもら えない。腸が飛び出しているのに・・・仕方なくその兵隊の所に行ってもう死んでしまうのが解っていたので腸をお腹の中に押し込んで包 帯をぐるぐる巻いてやった。”水をくれっ!”と言ったが与える水も 無い内に死んでしまった。
また、館内の記事によるとアメリカ軍が沖縄に上陸した時点で東久邇総理大臣が戦争の終結を上奏した。昭和天皇の判断はこのよう な状況下では未だ終結する訳にはいかないとのことであったが、以 前、私が読んだ山岡荘八の小説太平洋戦争の内容と180度違ってい た。事実は一つ。果たしてどちらが真実なのであろうか。
昼食仲地山羊料理店にて
平和記念公園から4km位北に行った所にこのお店があった。 観光案内の本にあったのでお客が混んでいるかなと思ったが、あにはからんや私達だけであった。山羊汁(1,000円)と山羊刺身 (1,100円)を一人前づつ頼んだ。この日は木曜日だったのでサ ービスの一品として山羊肉チャンプルが出た。山羊肉について 、味は余りクセがなく淡白な感じだ。味付けは殆どダシの味と いうのであろうか肉そのものの味は感じられない。山羊汁はそ のまま飲んだのでは無味乾燥であるがこれに醤油を少しかけて 汁を飲みまたダシの肉を食べると良い味が味わえる。山羊肉の刺身は淡白でこの味がうまいと思う。生姜をおろして醤油と酢 をたっぷりかけてこれに漬けて食べる。これはかなり行ける。 木曜日の特別メニューの山羊肉チャンプルは味の良し悪しは判 定できない。野菜と山羊肉を炒めただけで味付けが良く解らな かった。良い経験をしたが山羊肉はこれで十分といったところだ。
平和記念公園(国定公園)
沖縄の最南端摩文仁の丘にあるこの公園。広い敷地は平和の礎(いしじ)といって、太平洋戦争においてこの地で亡くなら れた全ての方の名前が御影石に刻まれていた。もちろん日本人 だけでなくアメリカ人もその他の外国人も・・・。沖縄中部に上陸したアメリカ軍が北部を瞬く間に制圧し、軍隊および一般 住民をこの摩文仁の丘に追い詰めた。この沖縄戦争においても っとも悲惨に思うのは一般住民など非戦闘員もこの戦いに巻き 込んでしまったということである。戦争の悲惨さ醜さを強く感 じた。
玉泉洞王国村
全長800mにわたる鍾乳洞の中を歩いた。これが実に見事で あった。この鍾乳洞、実は5kmもあるそうでどこやらの大学の探検部が発見したものであるという。細いもの、太いものこれ らのツララというか、石灰の塊が上から下へ、下から上へ見渡 す限り続いていた。回りに人が殆どいなかったので、このツラ ラの間からオバケが出てきたらどうしようと真剣に考えたりし た。
サンマリーナホテルについて(624号室)
10階建てのリゾートホテル。内部中央が吹き抜けになっており 1階には白色のグランドピアノが置いてありその周りは海の水が満 ちている。部屋は全室海側に面している。”旅をしているんだ” という高揚した気分を盛り上げるのにふさわしいビューティフル なホテルといえる。ホテルも部屋も素晴らしいが反面、難点もあ った。夜の食事、和定食を食べた。味良し、量良し、全て快適で あったが、ツアー料金に含まれる以外の費用が私にとってはバカ 高く感じられた。オリオンビールの中ジョッキが900円(税、サービス別)日本酒も同程度等等。これらの価格はホテル生活に とってはごく普通価格なのであろうが、一般庶民としてはバカ 高く感じられる。感じでは3倍程度の高さといえるのであろうか。 その割には3倍のサービスを受けているとは思われないし、そんな サービスはいらないから、価格を安くして欲しい。逆にそうすればもっともっと客が入るのではないかと思ったりもした。結局、 こういう所はお金持ちがゆっくりと生活する所であり、庶民が沢山来てしまったら、お金持ちの方々が困ってしまうかもしれない 。そうか、私のような庶民が身分不相応のホテルに泊まってしまっただけのことか。(;_;)・・ ・・
5月19日(金)曇〜雨、起床6:30、出発9:00
万座毛の奇岩見学
象の顔から鼻の顔をした奇岩を見学。スッポン岩、夫婦岩を見学。この種の見学を個人でする時には、団体のバスガイドさ んの後について行くに限る。無料で親切丁寧に説明をしてくれ る。
名護パラダイス見学
沖縄はそんなに広くないという認識が強かったため、昨日の平和記念公園にしろ、この名護パラダイスにしろまた、この後の国営沖縄公園にしろとにかく広い敷地を使った施設が目立つ 。入場した時にもらった真紅のハイビスカスの花を押し花にし よう。ハーブの葉をちょっとこすって嗅いだ匂いのあの芳しい香りが何時までも記憶に残る。
国営沖縄記念公園
1975年(昭和50年)に開催された沖縄海洋博覧会の跡地が公園になった。ここも広い。約9ha(70万u)の敷地に色々な施設が散在している。ここの移動は10分毎に走る電気自動車を利用する。全部は到底見ることができないのでイルカショ ーとマナティ館を見学した。このマナティというのは全長約 3m位のでかいナマコみたいなもので動きは鈍い。この中の 一匹がまるで死んだように動かない。海のナマケモノみたいだ。
イルカショーは何回見ても面白い。顔はやさしそうな顔 をしているが多分そんなにやさしい動物ではないであろう 。我が家の昭子奥様みたいなもんだと思う。水族館は時間の関係で諦めた。エメラルドビーチはホテルの海で透き通 った海の水を見慣れているので余り驚くことはなかったが それでもきれいな水だ。但し砂浜が細かいメッシュで周りにはゴミも無く麗しき気分に浸ることができた。何といっても人が殆ど居ないということが普段の生活とかけ離れているのでとても魅力的に感じてしまう。この後雨が降ってきた。
前田食堂(昼食)
今帰仁村から国道58号線に出てしばらく北上すると 右側に見える小さな食堂。沖縄紹介の本には地元の人だけが知る評判の良い食堂ということで絶対に見逃すまいと目を皿のようにして運転しようやく発見した。 昭子は550円の焼肉そば、私は650円のソーキそば(豚骨が入っている)を注文した。そばといっても関東地方のそばとは異なり言ってみれば細目のうどんのよう なもので、色がラーメンのように黄色っぽい。一口汁を吸った。美味い!。薄味でとても淡白な味だ。豚骨についた肉を食べながらビールを飲み、また汁をすすった。これはいけた。お勧めだ。昭子の肉そばという のはそばの上に肉やもやしを炒めたものを乗せた感じでこれも美味かった。
茅打ちバンダ
辺土岬の近くの山の手にある崖の上の断崖をいうので あろうが、人も無く店も無く、名所の由来が良く解らな い。
辺土岬
雨が降る。日本の南端の島の最北端に来た。見るべき ものといえば本土復帰の碑だけ。晴れていれば周りを歩 き回ったり海に出られるが早々にお土産屋で物色したり試食したり沖縄の味を楽しんだ。二階のレストランに行 きコーヒーを味わった。レストランの可愛いお姉さんが 言うには辺土岬では時々(2月〜5月頃まで)ホエール ウオッチングができるという。その日最初に鯨を見つ けた人にワインをプレゼントするというので、一生懸命鯨を探してみたが例の塩を吹くところは発見できなかった。今年はすでに10人くらいがワインをもらったとのこと。くやし くなって店員に”私も鯨を見たからワイン頂戴”と言ったら、 その写真の鯨を見たんでしょうと軽くいなされてしまった。
北部東海岸を南下
雨が降り続く中、辺土岬から東海岸のコースを南下した。 この沖縄北部は国頭村の領域であるが、道路は信号がほとんど無く、また行き交う車もほとんど無い。勿論人もいない。 こんな道を約90kmも走った。所々に”この道は亀も通りま す、注意してください”という看板が真面目に立っていた。 沖縄の方ってちょっとした所にユニークなユーモアがあるのに感心した。だって亀のスピードと車のスピードを比べたら小さい亀だったら注意してもよけられないですよね。もしか したらこの看板は兎さん用に立っているのかもしれない。????
海産物料理”南栄”
夜の食事は恩納村にある南栄にて魚料理を食べた。これ も案内本のお勧めの店だ。昭子は焼魚定食。これはタマン という魚で30cmくらいのでっかいやつだ。これにモヅク や飯、汁がついて1,500円也。私はアバサー汁定食といって針千本という魚をダシにした美味しい汁だった。金額 は2,000円也。この時生ビールを飲んだがこの付け出し が”カェー”という魚の刺身と大根の千切りを味噌和 えしたものでverry goodであった。面白い話があった。タマンなど全く知らない魚を食べた昭子は肉の硬さに閉口しながら食べていて半分以上食べてから 店員にこんなに硬い肉なの?と聞いたところ、店員も 驚いてこれは焼きがおかしいということになり、新し い美味しいものと交換してくれた。さらにお勘定の段になって、昭子の分はロハで良いということでとても得をした気分になった。タマンを二匹タダで食べることができたのだか ら。???
5月20日(土):うす曇:起床6時、出発8時30分
もぐりん号に乗船(一人10,000円也)
日本に一台しかない観光用潜水船である。30人乗りで両側 に丸いガラス窓があり、そこから海を覗く。まるで水族館と反対で、自由な魚達が窮屈な思いをしている私達を眺めているような感じがした。潜水は最大38mまで潜った。潜水直後から小さい魚、大きい魚、また亀などが現れた。亀にはその背中にも2〜3匹、腹部にも2匹くらいの魚が共生していた。小さ な、1cm以下の長さのエビが沢山漂っている。これを魚達が食べるのだ。海の中にはこんなにも魚が沢山いるのかと思い知 らされた。潜水後もぐりん号を外から見たらこの仕掛けが解っ た。船の外側すなわち前、中、後それぞれ左右の屋根の所にこのエビを入れた袋があって、ここからエサが少しづつ出てきて 魚が集まる仕掛けになっていたのだ。さらに先行する船の海面 からは別の船がエサ袋を上下させて魚を誘っていたのだった。 →いわゆるコマセを撒いていたのだ。潜水深度が深くなると赤 色色素がなくなる。珊瑚礁の群生する所をゆっくり走る。今まで珊瑚のイメージというのは、真紅の木の幹に枝が曲がりくね って伸びている例の形を想像していたが、そのようなものは殆ど無く、大きなキノコ型のものばかりであった。しかも赤色が 飛んでしまっているので、薄黒または白色に見えてしまうので 余り感動的な情景でもなかった。そうこうしている内にもぐり ん号は38mの砂の上の海底に着地した。この潜水でおぼえた唯 一の魚の名前はタカサゴで尻尾の上と下の両端が黒くなってい た。
サンマリーナビーチで泳いだ
もぐりんの後はビーチで泳いだ。透明な海水に足を踏み込む と足のつま先まで良く見えてしまう。しかも関東地方における 海の色ではなく、正にエメラルド色をしているのだ。こんな人も殆どいない美しい海で泳いでいると家に帰る気持ちがなくなってしまうような感じであった。でもテニスが待っているという気持ちがほんの僅か帰宅心を引き起こす。水温はさして冷たくない。最も気に入ったのはこの広いビーチで泳いでいる人は全部で10人にも満たない。ゴミの無い砂浜も気に入った。しか し、海の水遊びというのは大勢の友達がいて初めて楽しいものになるということを体験した。昭子は泳げないといって膝のあた りの深さの所でした遊ばない。こんな環境の所に結婚前にきて いればどんなにか幸せを感じていたことだろうか。 (-_-)・・・・・・。
島食堂
昼食は案内本で魚が美味いという この食堂に行った。私はこの店自慢のバター焼き定食に挑戦 した。魚の名前は聞かなかったが30cmくらいのでっかい魚でとても味が良かった。昭子はカニそばを食べた。これも味良し。この日の昼食は大成功であったといえる。
琉球村
琉球村は琉球の昔からの生活や芸能などの実演を行っていた。吃驚したのは空手だ。5cm角の棒を相手の腕に叩きつけて折ってしまう。凄い!!。その後高床倉庫を見学したがこれを見て不思議に思ったのは台風の銀座通り といわれる沖縄の地でこんな建物では軽く吹き飛んでしまうの ではないかということだ。多分どこかに凄い仕掛けでもあるのであろう。ちょっと期待はずれだったのはマングースとハブの決闘であった。皆が興奮を秘めて期待をしていたが、何やら本年の4月1日から法令が変わったために両者の対決は無かった 。両者が別の檻に入ってお互いに興奮している所を見ただけで あった。パンフレットと違う。これはサギだっ!!。
座喜味城跡
城の跡は”ジョウシ”と呼ぶものと頭の中で固定観念として 思い続けていた。昭子が”ザキミジョウセキ”と言うのを聞き ”愚か者”と心の中で叫んでいた。何度も同じことを言うので ”これはジョウシと言うんだよ”と教えたつもりが、逆に指導 を受けてしまった。58年目のミスを発見した。5mくらいの石 の塀で周りを蔽いここに2の丸、本丸がそれぞれ塀で囲まれ ていた。しかし城といってもそんなに大きな面積ではなく建 物の大きさも100〜150坪くらいの広さと推測した。この城跡 (ジョウセキ)の入り口に村立の博物館がある。この中にも 第二次世界大戦の爪跡があった。ちょっとした見ものだ。
福地さんと会食
同期入社の仲間である福地さんと会食した。生まれ故 郷の沖縄に転勤し、今はグループ会社の沖縄営業所長をし ている。彼とは15年ぶりくらいで会った。彼と前にあった のは確か北陸支社で放送局のお客様の仕事をした時に金沢 で会って以来であった。彼に沖縄の魚を食べたいと話して いたが、私が魚はしっかり事前調査をして色々経験したこ とを言ったら、それでは沖縄料理を食べようということに なり読谷村の楚辺通信所(象の鼻)を見学し、その足で琉 球料理店へ。ゴーヤチャンプル、フーチャンプル、トーフ チャンプルなどをビールを飲みながら楽しく会食した。チ ャンプルというのはいわばごちゃ混ぜ料理と言ったら良い のであろうか、たとえばゴーヤチャンプルというのはゴー ヤ(ニガウリ)と豆腐やモヤシ、肉など色んなものが入っ た油炒めといったものである。福地さんの話では福地さん は沖縄で福地家27代の当主ということで本来ならば私など は近づくことができない方であるが、気さくに会ってくれ たのがとても嬉しかった。福地さんとはゴルフのこと、ご 家族のこと、御子息様のこと、ガンの特効薬といわれるE Mのこと、昔のこと、などなどそれこそ時の経つのも忘れ て夜中近くまで話し続けた。その後ホテルの私達の部屋で 延々と楽しい話しに花が咲いた。昔に比べて人を引き付け る話術が巧みであった。
5月21日(日):曇:起床6時:出発8時:いよいよ最終日
首里城を見学
会社の出張で那覇は何回も来たが那覇の直ぐそばにあ る首里城には足を延ばさなかった。この城は中山王が敵 の攻撃を守る目的で作ったのではなく、来客の接待を目 的とした城とのことである。正直のところ守礼門から本 殿までこんなに広いとは思わなかった。昨日、森総理大 臣夫人が7月に開かれるサミットの晩餐会をここでやる ということで下見に来られたというニュースが流れてい た。この首里城そのものにはそんなに大きな期待はして いなかった。むしろ海軍(?)の司令本部の地下壕があ ったと聞いており、これを見たかったが特に見学場所と しては無かった。
地下壕
第二次世界大戦の強烈な足跡の一つがこの地下壕である。 物凄い。小高い山から階段で約90段下った所に幅2mくらい、 高さ2mくらいの通路と所々に司令官室、作戦室、暗号室、3 m×7mくらいの発電機置き場などの部屋が作られている。そ してこれが延々と続くのである。絵や説明文によると兵隊達 は通路に横になって身体を休めていたという。見学し、考え ているうちに思わず感動したのは、これだけの地下壕を掘る のにどれだけの人達がどの位時間をかけて掘ったのであろう か。その方々のことを思うと涙をすすらずには居られない。 ”沖縄市民は実に良く戦った・・・・・”という大田司令官 のメッセージには胸にジーンと来るものがあった。
豊見城跡公園
ここは城跡というか城の面影は殆ど無くグランドゴルフ とか多目的の公園だ。ここで昼食。私、トンカツ、昭子ビ ーフカレー。段々都会の食事が恋しくなったのであろうか ・・・。ここの公園のはずれに海軍野戦病院の豪が掘って あった。先刻の地下壕ほどではなかったが、こんな豪がど うして病院なんだという素朴な疑問が湧いてきた。
以上今回の旅行の足跡を振り返って見た。第二次世界大戦 については山岡荘八や源田実、児島襄、坂井三郎などの本や 映画で色々学習してきたが、百聞は一見にしかず、頭では考 えられない多くの発見があり、感動した。日本が戦争放棄を憲 法でうたったことは実に正しい。今後の時代において人 間の欲望がどのような形で争いになるか予測がつかないが、 少なくとも日本においては戦争という争いは絶対にしないと いう強固な自覚を一人一人が持つべきだと思うし、争いをする決断をする時にはその前に広島やこの沖縄の傷跡をよく勉強すれば絶対にそのような結論には至らないと確信する。有意義な旅ができたことを感謝する。
以上