ランニングについて
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昼休みの多摩川縁のジョギング
No |
タイトル |
年月日 |
場所 |
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19 |
02-10-20 |
勝沼 |
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18 |
フレッシュ駅伝に挑戦 |
02-03-16 |
立川昭和記念公園(工事中) |
17 |
青梅マラソンに挑戦 |
02-02-17 |
青梅(工事中) |
16 |
01-11-25 |
河口湖 |
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15 |
01-05-20 |
会社構内 |
|
14 |
横田基地ハーフマラソン |
01-01-7 |
横田基地 |
13 |
河口湖フルマラソン |
00-11-26 |
河口湖 |
12 |
組合杯駅伝大会 |
00-05-14 |
会社構内 |
11 |
00-3-18 |
立川昭和記念公園 |
|
10 |
00-2-20 |
青梅 |
|
9 |
00-1-9 |
横田基地 |
|
8 |
99-11-28 |
河口湖 |
|
7 |
99-10-10 |
河口湖 |
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6 |
99-9-15 |
高尾山 |
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5 |
99-5-16 |
会社周回 |
|
4 |
99-3-27 |
立川昭和記念公園 |
|
3 |
99-2-21 |
青梅 |
|
2 |
99-1-15 |
お台場 |
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1 |
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なぜランニングを始めたのか良く覚えていない。短足胴長の私は運動とは無関係の人間だった。 結婚後半年くらいの時に町田市相原に引っ越してきてから始めたと思う。食事の料理人が変わったせいか体重 が少しずつ増加してきてズボンがきつくなった時に、決心したと思う。朝5時に起床し、5時半から30分く らい山の中を走り回った。”継続は力なり”雨の日以外毎日走った。その後、丹沢湖マラソン、桃源郷マラソ ン、多摩川ロードレース、青梅マラソン、東京シティマラソンなどを経験して今は青梅マラソンと東京シティ マラソンに集約している。記録は10kmで40分を切れなかった。確か40分7秒がベストと思う。これか らも朝練の加藤さんのようにLSD(long slow distance)を続けたい。今後の目標はフルマラソンに出ること。それと海外のマラソンに一回出てみたい。
各種リンク |
ここを クリックすると、加藤さんのランニングのページにリンクします。 |
ここをクリックすると組合杯駅伝大会の写真にリンクします。 |
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19.勝沼ぶどう郷トークマラソン挑戦:2002-10-20:
山梨県勝沼にて
当日の写真はここをクリックすると見ることが出来ます。
生意気なことを言うようであるが、私は10kmのマラソンはかれこれ20年前に卒業したつもりであった。
今年入会させていただいたmmx走り隊のメンバーがこのマラソンに皆様参加されるということで、走り
仲間の井手先生と相談して20kmに出ようということになった。mmxの方々は皆様5kmか10kmに出
場ということを聞いておかしいと思い確認したところ、ここは10kmといっても
高低差340m(青梅の4倍強)もあるとのことで、さすがに怖いもの知らずの井手先生も私も怖気が
ついてしまい10kmで頑張ってみることにした。
今までの経験から、10kmの場合は4分30秒/km以内のペースで走らないとダラダラしたレースになって
後味が悪い思いをするので、少なくとも4分30秒/kmはキープという心意気で走った。スタートを少し過
ぎたところから中間点付近までが連続した登りが待っていた。このレース前、一応登りに供えて500m位の
登りの練習をしておいたつもりであったが、最初から足が重くてペースも5分/km以上かかってしまった。
北さんや谷丸さんが登り坂を快調に飛ばして私を抜いて行った。とにかく必死に登って行った。こんなに辛
いマラソンは昨年リタイアした河口湖以来である。また、悪いことに途中の距離表示が何処にあるのかさっ
ぱり分からない。頭の中の距離計と腕時計だけでペースを掴んだが、距離が全然実態とかけ離れていた。5
km過ぎた頃からであろうか、下り坂になった。有難かった。今までの遅れを取り返すべく思い切りステッ
プを広げて走ったがスピードは余り出ていないようであった。膝も痛くなってきた。ゴール近くで応援の奥谷
お姫様が大きな声で励ましてくれたのが嬉しかった。時間は51分18秒の記録であった。この記録に対して、過
去の10kmの記録と比較しても最悪のものであるがこの記録が満足できるものか否かということが余りよく分
からない。というのも、自身の心の中では10kmだったら少なくとも45分では走らなくては、という使命感の
ようなものを持っていてこれがクリアできないととてもストレスがたまってしまう。或いは自身の体重増加、
脚力弱体という要素があるのかもしれないが、このような理由であればもっともっと鍛えなければならない。
よしっ、来年再度これに挑戦してみよう。多分45分は出せないと思うが、少なくとも50分は切るタイムを目標
にして頑張ることにしよう。
記録:51分18秒、男女総合378位(1,578人中)、男子50歳以上115位(453人中)であった。
今回の参加はmmxのメンバー合計19名が参加するということで、土屋さん、谷丸さんのご尽力で貸し切り
バスで往復することが出来たことは嬉しかった。特にバスの場合は帰りの足がとても助かる。競技の後は会
場で先ずはビールで乾杯し、飲み放題のワインと食べ放題のブドウで勝沼の味を味わった。特にワインは我
が家ではとても評判の良い味であった。一休みした後ももの里温泉で疲れをじっくりとほぐし勝沼の美味し
い空気をたっぷり吸った。この後お疲れさん会があり差し入れの飲み物を美味しく頂いた。とにかくとって
も良い思い出を作ることが出来ました。応援の坂本奥様、奥谷お姫様有難うございました。幹事の谷丸さん、
土屋さん、また運転をされた谷丸さんのお友達の方、本当に有難うございました。来年は捲土重来を期して厳しい練習をやってみます。
18.フレッシュ駅伝に挑戦:2002-3-16:立川昭和記念公園にて
17.青梅マラソンに挑戦:2002-2-17:青梅にて
16.河口湖フルマラソンに挑戦:2001-11-25:河口湖にて
私にとって3度目のフルマラソンへの挑戦は惨憺たる結果であった。
今回はいつものメンバーの井手さんに加えて、ATC会員の後藤圭子さんが一緒だった。
後藤さんはハーフ以上の競技には初めての挑戦であった。朝5時前に相原を出発。6時過ぎに現地到着。天
気は最高、雲ひとつない。雄大な富士山がくっきり立体的に見えた。例年に較べて暖かい。8時30分にスタート。一寸身体は
重めであったがまぁ何とかなるだろう。この日のための準備を殆どしていなかったので幾分の不安はあったが長くて5時間の
辛抱をすれば、後は美味しいビールが飲めるのだから、と軽い気持ちで走った。8km過ぎに左右の足の筋肉が徐々に痛み出
した。この痛みは今までの不摂生と準備不足のタタリだ。これは我慢しなけりゃと自分に言い聞かせる。しかし痛みは徐々
に増大する。こりゃヤバイかなと思っているうちに12km位のところで左足の付け根がギクリと来て蝶番が外れたような感
じになった。痛い。筋肉の痛みと足の付け根の痛みが時間と共に増してくる。このまま走るともしかしてビッコになるんじ
ゃないかしら、と不安が段々増大してきた。歩いたりすると少しは痛みが和らぐ。歩いたり走ったり、これを繰り返してい
る内に20km手前の所に思いがけずに娘の由美夫婦が応援にきてくれていた。娘の顔を見た途端、忍耐の限界に達してしま
い、リタイヤする事にした。それでも駐車場まで走ったり歩いたり。無気力そのままで頑張った。係員にチップを渡して正
式にリタイヤの運びとなった。25kmの地点だ。悔しかったけれどこれは勇気ある撤退だ、
と自分に言い聞かせた。他の人たちは私より苦しそうな顔をしながらそれでも走っている。後17kmもう一度走ろうと思い直
し、先刻の係員の所にチップを返して貰いに行ったが、そこにはもう係員はいなかった。それではしょうがないとスッパリ諦
める事とした。井手先生や後藤さんは快調に走っているだろう。悔しいけどしょうがない。もうふて腐れてビールを飲みなが
ら二人を待つ事にした。待つ時間は長い。アルコールが心地よく車の中で眠った。後藤さんが帰ってきた。3時間43分とのこ
と。凄い!!。負けた。井手先生は私同様足を痛めたが完走した。偉い!!。私の途中リタイヤは言ってみれば敵前逃亡で
ある。こんな気持ちになるんなら足が壊れても走ればよかった。決心した。今後私の命がある限り途中棄権はしない。どん
な事があっても。これがこの日唯一の収穫であった。
当日の様子はここをクリックすると少ないですが写真があります。
第23回組合杯駅伝大会に挑戦した。 私と坂本さんにとっては最後のこの大会になる。テニス仲間もこの点を良く分かってくれて、皆 様快く選手を引き受けてくれた。こんなにスムーズにチームが編成できたのは初めての経験であ る。感謝、感謝、大感謝である。ところでこの組合杯駅伝大会は23年目を迎えた。私は確か第7 回大会に事業部の代表として初めて出場した。当時はメンバーも少なく20チームくらいであっ たが、今回は事業部、分身会社、一般参加を合わせて42チームの参加であった。私達は「朝練 テニスチーム」として一般の部に参加した。今年は武井さんと尾作さんが初めて私達のチームに 参加してくれた。高速ランナーの中尾さんも負傷を押して走ってくれるとのことであったが、残 念ながら今回は応援に回って貰った。また応援に会社の岩切さん、丸山さんも挨拶に来てくれた。 結果は一般7チーム中7位ということであった。でも私達のチームの後にも数チームがいた。競技 後の表彰式では私達は何の表彰も無かったが、盛大に慰労会を催した。加藤さんと日本酒の一気飲 みの3連ちゃんを勝負して完全にグロッキーになってしまった。でも良い仲間に恵まれて、テニス と共にこんなに楽しい駅伝大会に出場できたことを非常に光栄だと思っている。「朝練テニス」チ ームが来年以降も出場して健闘してくれることを祈る。当日の記録は以下のとおり。
|
距離 |
選手 |
時間 |
区間順位 |
通過順位 |
1区 |
3,770m |
菅原さん |
17’11” |
7位 |
7位 |
2区 |
2,580m |
加藤さん |
12’05” |
7位 |
7位 |
3区 |
1,380m |
重政さん |
05’50” |
7位 |
7位 |
4区 |
2,580m |
尾作さん |
10’22” |
5位 |
7位 |
5区 |
1,380m |
坂本さん |
06’08” |
5位 |
6位 |
6区 |
2,580m |
武井さん |
09’56” |
3位 |
6位 |
7区 |
2,720m |
藤沢 |
12’18” |
7位 |
7位 |
総合 |
16,990m |
|
1゜13’50” |
|
7位 |
14.横田基地ハーフマラソン:01-01-07:横田基地にて
13.河口湖フルマラソン:00-11-26:河口湖にて
12.組合杯駅伝大会:00-05-14:会社構内にて
11.’2000フレッシュ駅伝大会に挑戦:00-03-18:立川昭和記念公園にて
9.横田基地ハーフマラソンに参加:00-01-09:横田基地にて
色々な方から、横田基地のマラソン大会はFROST
ここをクリックすると加藤さんの河口湖マラソンにリンクします。
1999年(平成11年)11月28日、とうとうフルマラソンに挑戦してしまった。走り始めてから三十と有余年、一度走ってみたいとは思っていたがこんなに簡単に決断できたのかと戸惑うほどだ。経緯はフルマラソンの常連の朝練仲間の加藤さんから河口湖に出ようとの誘いを受け、逡巡していた時、井出先生が今年還暦を迎えるとの話があり、記念に河口湖のマラソンをやろうと切り出した所、簡単にOKが得られ参加することになってしまった。
目標は30kmまで2時間30分(5分/km)、残りの12.2kmを1時間20分(6.6分/km)で3時間50分と設定した。結果は30kmが2時間40分、残りが1時間32分、合計:4時間12分1秒であった。この日のために好きなお酒を極力断ち、高尾のマラニックや早朝ランニングなど今までの人生の中で最長の練習をしてきた。故に記録は目標を達成できなかったが完走できたことに大満足であった。井出先生も加藤さんも仲良く完走した。
銘記すべきことは30km以降の足の筋肉の痛みは想像を絶するものであったということただ一つ。競技後紅富士の湯に浸かった後のビールが涙が出るほど美味かった。来年こそは3時間50分で走る!!
7.河口湖一周:99-10-10(日):河口湖、紅富士の湯、宮ヶ瀬
右の写真をクリックすると大きくなります。また、ここをクリックすると当日の写真を見ることができます。
今年めでたく還暦を迎えた井手先生や会社の加藤さん達と河口湖のフルマラソンに挑戦する。 (11月28日)井手先生と私にとってフルマラソンは初めての経験ということもあり、一度河口湖を走 ってみようということになりこの日、一周を試走した。井手先生の奥様と家内は私たちが走っている間、 付近の自然を描こ うと油絵の道具を持参した。河口湖大橋のそばからAM7時に出発。一寸見では湖は余り広くもなさそう なのでちょろいと思って走った。5〜6分/kmのスピードでゆっくりと景色を楽しんだ。河口 湖は怖い、走るほどに奥が広まってゆく。走っても走ってもゴールの大橋が見えない。誰かの車に乗 せてもらおうかと思い、道を曲がった途端に目の前にゴールがあった。本番を前にとてもよい経験で あった。その後、山中湖のそばの紅富士の湯で汗を流し、ビールで乾杯。昼食はビジターセンターで イノシシ鍋をつついてまたビール。なにやら走って出した汗以上の水分が体に逆戻りしてしまった感 じがした。三次会は井出先生の一億円の豪華なお宅でまたまたビール。うーん、今日の目的はなんだ ったんだっけ?
”マラニック”という言
葉を朝練の加藤さんから教えてもらった。マラソンとピクニックを兼
ねたレジャーとでもいうのであろうか。また、コースはフルートの先輩であり、オリ
エンテーリングのプロのような宇野さんの奥さんに教えてもらった。そしてこの日満を持し
て朝5時10分に家を出発した。高尾山のケーブル駅に7時過
ぎに到着。そこから急な山道。走るというより早足で歩く感じでケーブルの山頂駅まで30
分ほど。そこからさらに3kmくらい行った所に薬王院があり、何百段もの階段をよじ登
ってようやく山頂に到着。7時45分。一休み。持参した麦茶がこよなく美味しい。帰りは
急な坂道をそっくり返るようにして走り降りた。もう筋肉はイッタイタ。高尾の駅まで
走って、後は根性無しになってしまい。電車で帰宅。総計20k
mを2時間半で楽しんだ。マラニックも良いもんだ。これからの休みの日のメニ
ューが増えた。色々ご指導いただいた加藤さん、宇野さんありがとうございました。
昨年に引き続きあいにくの天気の中での競技であった。今年の大会における我がチームのトピックスとしては
(1)1区青山さんとスタッフチームの牧さんとの昨年からの因縁の対決。
(2)重政さんが今年3月に駅伝初デビューを果たした際のあのラストスパートの再現期待。
(3)3月の’99フレッシュマラソン大会の際の驚異的好記録を出した坂本(郁)さんの実力如何。
(4)ようやく朝練チームで走れるようになったエース菅原さんの走り
(5)競技後の坂本、藤沢奥様方の料理の腕前披露
などなど興味津々であった。結果は期待に違わず全員持てる力を全て発揮し悔いのないレースを行った。 順位は昨年は最下位であったが今年は一つ繰り上がってブービーであった。来年も頑張るぞ!!
当日の写真はここをクリックして下さい。 加藤さんのページにも関係記事がありますよ。
区 |
距離 |
選手 |
通算時間 |
区間時間 |
通算順位 |
区間順位 |
---|---|---|---|---|---|---|
1区 |
3.75km |
青山さん |
15.28 |
15.28 |
7 |
7 |
2区 |
2.38km |
加藤さん |
25.32 |
10.04 |
8 |
8 |
3区 |
1.36km |
水野さん |
32.16 |
6.44 |
8 |
6 |
4区 |
1.36km |
本田さん |
37.54 |
5.38 |
8 |
6 |
5区 |
2.38km |
中尾さん |
48.04 |
10.10 |
7 |
7 |
6区 |
2.38km |
坂本(秀)さん |
58.56 |
10.52 |
7 |
8 |
7区 |
1.36km |
坂本(郁)さん |
65.04 |
6.08 |
7 |
7 |
8区 |
1.36km |
重政さん |
70.40 |
5.36 |
7 |
4 |
9区 |
2.38km |
藤沢 |
80.39 |
9.59 |
7 |
5 |
10区 |
2.39km |
菅原さん |
90.15 |
9.36 |
7 |
4 |
合計 |
21.08km |
|
90.15 |
|
7 |
|
4.’99フレッシュマラソン駅伝大会(99−3−27:昭島、昭和記念公園にて)
朝練メンバーと昨年から出場している。あいにくの雨の中を走った。
加藤さんの青梅マラソンの記事はここを押して下さい。
ここをクリックすると当日の写真が見られます。
芝中走ろう会のメンバーと。アッ加藤さんがいない
今年は内心密かに賭けていたことがある。”本番では2時間24分 以下で走る”そのために私にとっては一月は異例の98kmも走り込みを行った。2月3日(水)などは、 終業後初めて調布の先まで21kmを走った。極寒の寒さの中をである。しかし、現実は厳しかった。 10分以上も遅れた。色々反省点はあるが、最大なものは練習不足である。この悔しさをバネにして 今年の走行距離を昨年の5割り増しの600km以上と設定して頑張る。
会場では毎年お世話になっている芝中走ろう会のメンバーに合流した。いつも元気な野口さんの好意に甘えきっている。そして会社の朝練仲間の加藤さんも一緒だった。加藤さんはうらやましい。いつも家族が応援してくれるから。スタート後15km位までは4分30秒/kmで行くがそこからが地獄を見る。足の筋肉が痛くて上がらない。心の中で号泣しながら走る。いつものことだ。
今年は色々な人にお目にかかれた。細田さんが5km位の所ででっかい声をかけてくれた。飯原さんは道路整理をしながら13kmの所で、印南君と丸山さんがゴールの所で励ましてくれた。稲邑さんに会うのを楽しみにしていたが会えなかった。(よく考えてみたらこれみんな会社に関係ある人達だった。)、
この東京シティマラソンは確か東京都庁の完成を記念して交通事情から一回だけ開催するということで企画されたものと聞く。昨年までは東京都庁→大井競馬場であったが今年からお台場の方に会場が移り、出発点に戻る方式となった。一人での参加となったが、現地で会社の”田園”のメンバーに合流させてもらい一緒に走った。牧さん、西部さん、後藤さん、木村さん、西村さんそれと応援で西村さんと福井さんと一緒であった。余り練習もしていなかったが4分30秒/kmで走る目標を立てていたが結果は空しくも5分弱であった。(1時間44分9秒、下の記録のページ参照のこと。)しかし今回は田園のメンバーと一緒ということもあり、帰りがけのお台場見学もあり、楽しい食事もあり満足であった。そう言えばアップをしている時に元の南極観測船”宗谷”が係留されており感動した。こんな小さな船で良くも地の最果てまで行ったモンだと・・・・・。
今解る記録は以下の通りです。これから日記をひっくり返してさらに追加します。