小説太平洋戦争{1} 山岡荘 八著 講談社 読書期間:98-6/2〜7/15

昭和17年に神奈川県 三浦群葉山町で生まれた私は僅かな戦争体験がある。一つは灯火管制下で窓ガラスに藁半紙を張り付けて夜の家の光が外に漏れないようにして あったこと、それと防空壕に入った経験である。

子供の頃から今まで、 この第二次世界大戦は東条英樹を初めとする日本の血気溢れる軍部のパワーが、 アメリカの力に勝てるという判断の下に、ある意味では日本が望む形で引き起こされた ものと思っていた。

しかし山岡荘八 はそんなことではないということを教えてくれた。当時、日本において一番戦争回避したいと必死に考えていたのは、 昭和天皇と何と東条英樹であった。私にとってはアンビィリーバブル なことだ。そして一番戦争を望んでいたのは日本の軍事力を不安視したアメリカのルーズベルト 大統領であったことが一つの事実として解ったことが大収穫であった。


小説太平洋戦争{2} 山岡荘 八著 講談社 読書期間:98-7/15〜8/30

大日本帝国海軍司令長官:山本五十六の作戦は初戦においてアメリカ艦隊を撃破し日本への攻撃ルートをつぶすこと、それと同時に外交交渉によって停戦交渉を進めアメリカの力が回復する前に終戦に持ち込むことであった。初戦、ハワイ真珠湾奇襲攻撃が成功し、同時にマレー半島、バターン半島、など東南アジア地域に進出し欧米の植民地化していたこれらの国を植民地から開放させた。この勝利が日本全体の進むべき道の判断を誤ったといえるのではなかろうか。ここで注目すべきはマレー半島で勝利を収めた山下奉文中将の麗しき皇道精神とこれの実践である。感動した。また奇異に感じた点は、欧米人は地域の戦いに敗れるといとも簡単に降参して捕虜になる。日本人は決して捕虜の道は選ばない。死を選ぶ。どちらが良いのだろう。


小説太平洋戦争{3} 山岡荘 八著 講談社 読書期間:98-8/30〜9/16

勝利の女神が未だ微笑んでいる。今村均中将の類い希なる統率力によるジャワ戦線の勝利。この後ミッドウエー海戦である。この作戦は山本五十六司令長官はアメリカの艦船をこの海域に引きずり込み、このミッドプエーで叩きつぶすことにより終戦に持ち込むための条件を有利に導く事が最大のねらいであったが、女神は微笑まなかった。とうとう後ろを向いてしまった。ここから敗北の道が開けてしまった。

山本司令長官が三国同盟には体を張って反対していながら、この戦争に徹底的に反対しなかった理由は「日本の革命−−−」があった事による。すなわち海軍が戦争に反対したら陸軍の少壮将校は必ずクーデターを引き起こし主義の判然しない革命政権がその時より数倍も混乱した力でアメリカに挑戦し、現在より遙かに惨憺たる亡国になってしまうという危惧意識による。そこで歯を食いしばって開戦に賛成した。昔から徹底的に戦った民族は、曖昧に革命を行う民族よりは、遙かに高い再興率を持っていることを歴史が証明しているという事実を知っていたからに他ならない。


小説太平洋戦争{4} 山岡荘 八著 講談社 読書期間:98-9/16〜9/30

「世界海戦史上、これほど見事な撤退作戦はかつてなかった」と戦史家のモリソン博士に言わしめたガダルカナルの撤退は、山本長官の、 乗るかそるかの大賭博の終焉時期であった。 すなわち、大鷲の羽を広げたように東部太平洋からソロモン諸島 に繰り広げた海域において敵艦隊を捕捉撃滅する作戦の結果が明らかになりつつあった。 その後、国民全体の希望の象徴でもあった山本長官の自殺めいた死が続く。 ここで思うことは、当時の情報に関する実に貧弱な考えである。
(1)、東京の参謀本部と現地との現状認識が大きく離れていた。
(2)、日本の暗号電報が全てアメリカにより解読されていた。
(3)、山本長官の死も含めて、この頃の実状は敗戦でなくて転戦という表現で虚偽報道されていた。
50年以上も前の話ではあるが、貧弱さは解るが、良く考えてみると今の社会というか、 会社の中でも余り変わってないなという気がしてきた。