この種のルポルタージュを読むのは何年ぶりのことであろうか。
1.概感
夏の朝早起きして窓を開けると6月頃までは
小鳥君たちの朝の挨拶が気持ちよく耳に入ってくる。”チュッチュチュッチュビー
ビー”(おはようございます)9月になると虫たちは朝の体操をしているのであろ
うか抑揚のない声で”ギーギ・・・・ギー”(ハラへったー)と鳴いている。小鳥
や虫たちには飢餓は無いのであろうか。しかし人間にはある。
聖書マタイ伝第6章26節には”空の鳥を
みなさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれど
もあなた方の天の父がこれを養って下さるのです。あなた方は鳥よりももっと優
れたものではありませんか。”
また31節には”そういう訳だから何を食べ
るか、何を飲むか何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい”とイエス
キリストは約束しているが、この神様に見放されたと思われる人たちが現実に存
在することを知った。
2.内容
@残飯を食らう・・・バングラディッシュにおいて残飯を無意識に捨てる文明人
と残飯を集め商売しそれを買って食事をする人たち。食の神はどちらに味方するの
であろうか?
A食い物の恨み(人間の心がうかがえる)・・・難民がダッカからバングラディッシュ最南端の地区に移
ってきた。救難機関が食料を配布したら地元周辺住民たちの心が同情から恨みの心に変わっ
た。理由は”ワシらより量が多い”
Bピナトゥボの失われた味・・・ピナトゥボの大噴火で山の生活を捨て、下界に降りたアエタ族はほ
ぼ2年間の下界生活で食文化が混乱してしまった。ただ酒はいけない水だという。理由は”
酔って考えることと、醒めて考えることが違うなんておかしなことだ”
Cモガディシオ炎熱日誌・・・ファルヒア・アハメド・ユスフ。14歳だが30以上に見えた。
栄養失調。結核。もう食べられない。立てない。声も涙も出ない。咳だけ。枯れ枝少女だ。
この世のありとあらゆる苦しみを他人の分まで一心に負うた目をして14年の命がポッと消
えるのを待つ。
著者は最後に言っている”飽食の時代が、あたかも
そのつけが回ってくるように、空腹の時代に転じるのは、そう果てしなく遠い先のことで
もないのではないか”私も同感である。今からでもいい、自分一人でもいい、食を大切に
しよう。今の自身の健康を感謝して食えない人を救おう。
この新しい知識を得る機会を与えてくれた丸山さんに感謝。
11.「ゆっくり走れ ば速くなる」マラソン(秘)トレーニング
(読書期間:99−1−14〜99−1−25)
本社勤務の朝練仲間の加藤さんが私がより良い走りをするための アドバイスとしてこの本を貸してくれた。東京シティマラソンや青梅マラソンを控えて良いタ イミングで良い指導書を貸していただいた。感謝。
長距離を走るということは一定時間の酸素吸収量の効率が良い 人がより早く走れるもので、この改善には練習量すなわち走行距離に比例したトレーニング を行う必要がある、と勝手に判断していた自分が誤りであることを明確に教えてくれた。L SD(Long,Slow,Distance)の基本は一時間に3マイル程度の距離を長い時間走ることであり、この結果、体のア ンバランスな部分を発見し矯正すること、および抹消毛細血管を開発してより多くの酸素を摂 取する事が可能になるという。うーん、そうかこんなことなら簡単だと思って早速やってみた 。ゆっくり長い時間を走るということがこんなに難しいものだとは思わなかった 。亡き 佐々木コーチのこの指導に感謝し、またこの知識を得る機会を与えてくれた加藤さんに感謝し て自分なりの努力をしてみよう。
キーワード:正しいフォームで走る。 ゆっくりであれば何でもLSD。走りのけがは走りで治せ。練習の9割はLSDで。体と対話 しながら走れ。
12.しゃべり上手で差を つけろ(読書期間99-1-25〜2-2)
ATC会長の町山さんが会社に講演に来られた高島秀武が 面白かった、そして本をプレゼントされたと言って貸してくれた。色々な発見の機会を与えて くれた町山会長に感謝。
この中である所に講演に行って盛り上げて欲しいということ で話を盛り上げたが、聴衆が家に帰って講演の中身を話そうと思ったら何も思い出せなかった という下りがあった。これを読んで、昨年5月に私の居間からテレビを追放した事を思い出 した。それまでテレビを見ていてその時は確かに面白かったが、翌日何が面白かったか思い 出せなかった事が何回かあった。その時思ったことは目的を持たずにTVを見たのでは何の 収穫もない。時間の浪費にすぎない。ということを発見し今に至っているが今は時間を有効 に使うという意味で良かったと思っている。
将棋の米長邦雄九段の話で、若手天才棋士の生家を訪ねて 発見したことは「家の中の空気が丸い」。これが天才をはぐくんだ家庭の共通項であるとい う。矢張り家庭は丸が良い。
アメリカのクリントン大統領はスピーチがとてもうまいと 思う。それはワンポイントジョークが時宜を得ていることと思う。これには訳があってスピ ーチライターやジョーク係を身近に置いているからであるということが解った。なーんだ、 そんなことだったのか。そう言えば今の私の上司である池田J殿はこのワンポイントジョー クが天才的に旨い。ジョーク係などはもちろん居ない。私はこれ以上の旨い人を知らない。 (これは実感でありゴマではありません)
吉川英治の本は読み尽くしたと思って先日本屋で暇つぶしにもう一度チェックし ていたら、読んでいない本がまだまだあった。その内の一冊がこの本である。読んで最も感 動したところは官兵衛が荒木村重に囚われの身であることを知らずに、信長は黒田官兵衛が 毛利方に寝返ったと思い込み、人質として預かった官兵衛の息子を竹中半兵衛に斬らせるよ う指示した。約一年ぶりに官兵衛は忠臣に救出され、戸板に乗せられたままで信長に目通 りを許され、
「許せよ、官兵衛。知者の貴様も智に誤ることがあるように、信長こん どは過った。そちからの質子の松千代は、この一月、信長が命じて首を討たせた。・・・ うらむかわしを」「何の、おうらみはございませぬ」。しばらくして竹中半兵衛が松千代を連れて現れた。驚いた信長の前に 竹中半兵衛「仰せを歪げて、自分一存の計らいを取りおきましたことは罪万死に値 いたしまする。法は紊すべからずです。今日参上いたしましたのも、まったくは唯、その ご処分を仰ぐための他はございませぬ。どうか、死をお命じ下しおかれますように。」これを聞いた黒田官兵衛「於松。こち らへ来い」「はい」。 「そなたをお助け下された大恩人を死なしてよいものか。半兵衛殿が御主君のおとがめによって死を賜らぬ前に、そなたは帯びておるその短刀をもって自ら腹を切って死ね。父が見ていてやろう。父の子だぞ。皆様に嗤われぬように死ぬのだぞ」「はいっ」・・・感動した信長「もうよい。死には及ばん。何事も信長の過ちから起こったことだ。 まず信長の過ちを許せ」何と素晴らしく強烈で清らかな父子愛。主従愛。武士道。この部分を読む度に 両の瞼から清らかな滴がしたたり落ちる。
14.人間の礎 渋沢 栄一(読書期間:99−4−9〜4−27)
童門冬二の人物シリーズは一昨年上杉鷹山を 読 んで以来の感動を持って読み続けている。明治維新以来の立て役者と言えば大久保一翁 や西郷隆盛が居る。彼らの活躍を裏で支援したのは徳川慶喜であり、その徳川慶喜の重 要なブレーンの一人として渋沢栄一が位置づけられる。渋沢栄一のもっとも大きな成果としては大政奉還を進言し実行させたと言えるのではなかろうか。当時の武家社会にあって渋沢栄一の偉大な点は先見力と行動力といえる。そしてこ れらのパワーの底流に流れるものは当時の社会の主流である、武士のではなく庶民をベースとした国家全体をとらえた視点で物事を考え、行動し ている。具体的には”論語と算盤の一致”を以て孔子の精神で商業を営めというものであった。これを今流 で言えば顧客価値に焦点を絞った活動であ った。会社で今一生懸命取り組んでいる経営品質賞なんかアメリカのマルコムボル ドリッジ賞を日本が真似して取り入れたと言っているが、渋沢栄一から学んだ方が 日本にとってはより効率的であったかも知れない。明治維新後、徳川慶喜が住む静 岡の産業を確立し大きな成果を出した。これを国が黙ってはいない。大隈重信の執 拗な働きかけ、最後には大久保東京府知事に”天皇陛下の命令だ”と言わしめて今 の大蔵省で大改革を実行した。栄一のために大隈重信は”改正局”を創設し局長に 据えた。栄一は先ず優秀な人材を集め彼らの先頭に立って・予算制度の確立・租税制度の物納から金納シフト・貨幣制度の改善・鉄道敷設立案・度量衡の改正・全国測量実施等々・・・渋沢栄一 の名前は国家の仕事よりも500余りの企業に関与した実業家としてのイメージの方 が強かったが今の日本の重要な基礎を築いたという点で最大の功労者と言えるのでは なかろうか。栄一の思考の基本が国家あるいは庶民ということであり、決して私ではなかった。 一片の私欲も想わず国のために働いた渋沢栄一。偉い!。今の政治家や経営者達に 是非読んでこの考え、行動をマネしてもらいたい。とても良いベンチマークになると思う。 そうだ、他人に期待するんじゃなくて自分がやらなくては・・・
15.なぜ国家は衰亡するのか (読書期間:99−4−28〜5−20)
4月22日(木)会社で”事業方針 説明会”が行われ、北野J殿の説明の中に、現在の低迷する事業環境の中で今 年度もマドリング・スルーを楽しみ ながら乗り越えようではありませんか。と聞き慣れないフレーズを使われた。早 速マドリング・スルーのルーツをお聞きしたら、翌日には私の机の上にこの本 置いてあった。早さに感動。
先ずマドリング・スルーの意味であるが、直 訳は”泥の中を通り抜ける” ということであるが、”遠くの見通しはつかない中でも、積極的に当面の困難 に立ち向かいそれを切り抜けて、大きな収穫につなげる”という意味に用いられるということだ。この言葉と”楽 しむ”という言葉が99年度の荒波を乗り越えるぞという並々ならぬ御決 意を述べられたんだなーと後で感心した。
この本の中で、今の日本の状況が1世紀 前のイギリスの衰退プロセスとよく似ているとの指摘があった。酷似点は・都市生活を享受する若者・海外勤務を嫌う人々・海外旅行の大ブーム・大温泉ブーム・文字よりも漫画・新興宗教登場と隆盛・等々。 イギリスは衰退を経験し復活も果たした。これが大きな経験になり同じ誤りを犯 さないデータベースが構築されている。日本は過去に江戸時代にも約70年周期 で衰退/復興が繰り返されてきたが、経済大国と言われるようになってから初め て経験する衰退現象である。古来、歴史上の衰退論において言われてきたところ では「繁栄こそが衰退の本当の原因である」と言うことだ。また「国家の衰退を 人間にたとえてみるとよく解る。老化に気付いた時はどうしてもこれを否定した い。しかしこの現象に目をつぶると今後の対策も立てられない。その時必要なの は事実をありのままに直視する”心の活力”に他ならない」フーン。自分の年と 足元をハッキリ見つめることの出来る鏡を持たなければいけないんだ。
新しい知識を得る機会を与えて下さった北野 J殿に感謝。
北野J殿の素晴らしいホームページが見られます。
大岡市十郎、これが大岡越前守忠相の前半生に出てくる名前である。 時は元禄年間、五代将軍綱吉が発したまれにみる悪法、”生類御憐憫令”が 世の庶民を苦しめていた時代である。若かりし頃、同年代の悪友と悪智を絞 りあらゆる惑溺をした。また女にお燕という子供まで生ませた。そんな時に 大岡家を襲った家庭凶事により、一年四ヶ月の閉門に会い、市十郎は読書に 没頭し我に返った。紆余曲折はあったものの、城役人としての実力を発揮し 、地方奉行として紀州家が納める地、山田奉行での功績が後の8代将軍吉宗 公に見いだされ、吉宗公の将軍就任後南町奉行に抜擢された。奉行として庶 民に視点を当てた名判官ぶりを発揮したが、当初は世に理解されなかった。 そんな中にあって、若かりし頃の悪友仲間やお燕、お袖(お燕の母親)達が 大岡越前守の昔の悪事を知って居ることを理由に悪事の限りをつくした。越 前守、彼らを捕らえ裁判官としての公平な判決資料を纏め、自分自身に関わ る事件として龍ノ口(上位裁判所)に判決をゆだねると共に、このような事 件を起こした真の原因について”本の罪悪の禍根を断ち、将来の御政道に公正を示し、人 心を明るくして、庶民の生業をここに楽しませる判決は決して不可能ではな い”として意見書を添えた。将軍吉宗は越前守の立場を理解し、善 処するよう指示をした後、越前から面会を求められ、許した。善処のお礼 を期待していた吉宗に対し、越前守は”祖廟の定め置かれた天下の法令は、世の誰と誰とに適用 されるものか?”吉宗””この国の地上の人間、一人も余すものではない”では、将軍職といえ、法の外に在ってよい者ではございませぬな?””当然じゃ””しからば 、ここ二十数年にもわたる大罪科を、前々代のときから、当将軍家は犯し ておられまする。”先の越前守が関わる事件も”生類御憐憫令”や”新貨幣の切り替え”など の治世から発しているものであり、将軍家こそ悪の元凶である。と決め つけた。全てを聞き終わった吉宗は”おもえば、恐ろしいことであった。いかに、無辜の 民や、哀れなる宿命の者が、いわれもなく、この麻縄や、この白い牙に かかって、代々、次々、呻きの闇へ、投げ込まれて行ったことだ。吉宗 が生あるうちには、きっと、牢に人無き世を作って見せるであろう。そ れを以て、過去の怨念の民は、儂を許してくれよ。”大改革者 吉宗は謙虚に将軍家の罪を認めた。
自分の利益を考え るのではなく、立場を明確にし、やるべき事、言うべき事を何事もお それることなく行動し、発言することの重要さを再度認識した。吉宗 の改革精神は現在の社会にも通じるところがある。現在はこれにさら なるスピードが求められている。私も変わらなくては・・・
斎の国の荘王は、直情径行な国王で、国のため、民のためとい う考えは少しも無く言わばレベルの低い国王であった。側近は荘 王の刹那的な行動に対して迎合の言葉しか知らない。ここに晏嬰 が諫言する。国王にとって易からぬ感情が湧くのは当然であり、 晏嬰に厳しく当たる。晏嬰はこれに怯まず真実を語り続ける。世 に“真実は不愉快也”という言葉があるが、不愉快なものの中に こそ改善、改革の卵が潜んでいる。これは現代の社会にも充分に あてはまる。そういえば会社の会議で余り内容を熟知していない 経営トップが自分の知識の中だけの判断で物事を決めようとする 時に、会議メンバーでその考え方のベースが違っているというこ とを諫言する人が少ない。自分もその一人なのであるが深い憤り を感じる。正しいこと、自分の意見を相 手がどのような人物であっても正々堂々と語ることが出来るよう 自分ももっともっと鍛錬する必要がある。
28.東京裁判(上)(読書期間:00-2-9〜2-23)
山岡荘八の小説太平洋戦争を読んで以来私が生まれた頃の出来事に興味を持つようになった。第二次世界大戦で敗戦国となった日本が「平和に対する罪」、「殺人および殺人共同謀議の罪」、「通例の戦争犯罪および人道に関する罪」の大きく分けてこの三つの観点から東條 英機を始めとする28人のA級戦犯が被告の座に立った。
29.ウルトラマラソン (読書期間:00-2-28〜3-3)
会社の朝練テニス仲間であり、ランニングと釣りの大家である加藤 さんから来年のサロマ湖ウルトラマラソンに出ようとのお誘いを受け 、参考用にこの本を貸してくれた。一気に読んでみたけれど私なんか と別の世界の話としか考えられないことばかりが出てきて戸惑ってし まった。私が何十年も走ってきて1km5分程度でようやく走れるよ うになったのに著者は走り始めて3年でサブスリーを実現している。 私が驚いた点は
@.一ヶ月に400kmとか500kmを平気で走ってしまう
A.フルマラソンでも大変と思うのに100kmとか250km、350k mなどの競技が存在し挑戦する人が居るなんて・・
B.ギネスブックに載った杉山さんという人はランニング後のシ ャワーは一年中水を使う・・・
全く驚きの連続ではあるが、この長い距離を走るプロセスには 人生の縮図が織り込まれているのであろう。そして何度もこれに 挑戦するということは、普通一度しかできない人生の経験を何度も経験できて試行錯誤 ができるというところに魅力があるのであろう。本の中で共鳴する点が多々あった。矢張り距離が長いほど、苦しみが大 きいほど後の喜びが大きい。ここに何とも言えない大きな魅力が潜んでいる。私も是非ウルトラマラソ ンでも何でも挑戦してみたいと思うがこの為には他の楽しみを犠 牲にしなければならない。よく考えてみよう。一ヶ月に 300km以上の練習ができれば、来年サロマ湖に出てみよう。新 しい知識を得る機会を頂いた加藤さん有難うございました。今 後ともよろしくお願い致します。
32.だから、あなたも生きぬいて(読書期間;00-7-14〜17)
著者は中学生時代に悲惨な虐めに会い、その結果、非行に走り、極道の妻と して入れ墨も今だ残っている人生を送ったが、親や周囲の愛や励ましに見事に 目覚め、最難関といわれる司法試験に一発で合格した。私の子供の時代に虐め なんてあったのであろうか?記憶にない。では何故誰にも得にならない虐めな どが今、行われるのであろうか?私達の子供の頃はそんなこと考えるだけの力 も無かったし余裕もなかったと思う。テレビは無いし車も普及していなかった 。これは私の昔からの持論であるが原因はテレビ にありと思う。テレビの全てが悪いとは言わないが、視聴率を稼ぐ ための堕落した番組が穢れを知らない子供達の心を少しづつ歪めていってしま い、こんな社会になってしまったと言えないか。テレビの放送が改められない 限り見る方でこれを選択する必要がある。一番良いのはテレビを見ないことで ある。私はこのような理由によりテレビはほとんど見ないことにしている。見 なくても虐めに会うことなんてない。真面目にテレビ局で働く方々には悪いけ れども、大衆メディアというものは社会そのものの方向も変えてしまうだけの 力があるということを良く理解して事業を考えるべきと思う。大平さんは言う----いじめ----い じめというものは、いじめられた者の人生を大きく狂わす。人は苦労をすると 、苦労した分だけ人にやさしくなれるという。他人の辛さや苦しみがわかるか らだ。
勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す。
いまや日本は革命的大改革の前夜にある。
第二次世界大戦の敗因と現在の経済戦争における失敗は共通しているという観点から述べられている。
第二次大戦の前の日露戦争は世界の軍事専門家の間で日本の勝利を予測した者は一人もいなかった。日
本の指導者でも勝てると信じた者など一人もいなかった。しかし勝ってしまった。
日露戦争は敗けるべき戦争であったと石原莞爾中将は喝破した。しかしこの言葉に耳を傾けて日露戦争における勝因を研究する者はいなかった。日本における戦争観は武家時代における思想が最底流にあったのではないか。
戦争は勝ってなんぼのものであるべきはずのものであるところが、命の大切さより「心の中の美意識」、「負けることは恥」、「美しき自分のアピール」など
(例の鎌倉時代における”やぁやぁ遠からん者は音に聞け・・・・”と同じ)、
およそ昭和の時代における戦争観とかけ離れた意識が軍部などのどこかにあったのではなかろうか。絶対防御線を敷いてあったがそこを破られると次々に計画を
縮小し、最後は一億総決起ということも国の指導者は真面目に考えていたのである。神風特攻隊などは色々の見方があるだろうが、戦争美談としては美しいかもしれないが、客観的に考えてこんなことをして戦争に勝てるわけが無いと思われることが司令官の命令として特攻隊員に任命され命を失っていく。今の私達および当時の連合国では到底考えら
れないことであるが、これが真剣に検討され実行されたということは、いってみれば日本国
中が一種のマインドコントロール下、精神的狂乱状態にあったとしか考えられない。今、中東などにおける自爆テロやその他のテロでこれと同じことを考える人、実行する人たちは
夫々の価値観を持って真剣に行動しているのであろうが、当時の日本人の精神状態と同じものなのではなかろうか。これは大局的には、人類と地球資源の冒瀆と浪費としかいいようがない。
敗戦の原因
@ 史に学ばなかった。過去における戦争についての勝因/敗因の徹底的な分析不足
例えば日露戦争は奇跡の勝利であった。バルチック艦隊、203高地における勝利を分析から知らなければならなかった。
A 防御思想が乏しかった
真珠湾攻撃の前、海軍は真珠湾の深度などから攻撃方法を徹底的に究明し繰り返し
訓練を行いこれを実行して成功したが、航空機が発達し、制空権の重要さに対する
認識が不足していた点があったのではなかろうか。制空権と防護思想は当時におけ
る最先端で最重要の戦略であったことと思われる。ちょうど現在におけるインターネ
ットの利用と同じである。
B 適材適所の人事がなされていなかった
例えば航空兵の階級は実戦参加、撃墜機数、管理力などの経験に基づいたもので決
められなければならないが、実際は海軍兵学校の戦闘経験の無い未熟な士官が指揮を取っていた。