不毛地帯(一) 山崎豊子著 新潮文庫 読書期間:03-9-5〜9-26
この小説はフィクションではあるが、かなり現実に近いことを記述していると思う。というのは参考文献・資料としてシベリアや東京裁判に関する多くの文献があったり、談話の提供を受けていたりしている。日本が何故、アメリカに戦争を仕掛けたのかということについては小説太平洋戦争や、東京裁判などを読んである程度理解した積りであったが、大本営というところはどんな人間が居てどんな認識で戦略を立案したのであろうか、という点が良く頭の中に描けなかったところがあった。大本営の作戦参謀はエリート中のエリートがその任務を遂行している事がわかった。そんなエリート達の集団でも戦争を抑止することが出来なかったところに、人間というか人類の面白味を感じた。また、最近話題の北朝鮮の核開発問題が国際的に論議されているが、今の北朝鮮の状況は当時の日本の立場と似ているところがあるような感じである。取引の材料として核開発を行い強弁を張ってアメリカや国際世論の反発を買っているが、これが少しづつエスカレートして新たな戦いに発展しなければ良いな、ということを強く感じてしまった。また、シベリア抑留については想像を絶する悲惨な状況であることを始めて認識した。寒さだけではなくて食料、睡魔、病気などありとあらゆる苦しみと戦わなければならなかったなんて、驚きの連続であった。子供の頃良く、「ハイケンスのセレナーデ」のテーマ音楽で始まるラジオの番組があり、興安丸で抑留地から帰国する方の名前を読み上げていたのを鮮明に覚えている。また、お祭りなんかに行くと戦争で負傷した兵隊さん達が片手とか片足なんかで地面に座って募金を募っていたりした。これらの光景や音楽は頭の中にこびりついて決して離れることはない。この時親からは、兵隊さんたちはお国のために一生懸命頑張って戦ってきてくれたんだよ。だから少しでも良いから恵んでやるもんだよ。と言われ、”労わりの心”を教わった。でも、この本で読んだ過酷な生活をしている等とは思わなかった。”寒さに耐えて木の伐採をやっているけど、働いているうちに汗が出てきて寒さなんか忘れてしまうのであろう”程度の認識しかなかった自分が惨めに思えた次第である。 第二次世界大戦の大本営作戦参謀であった主人公の壱岐 正は天皇陛下が降伏宣言を発した翌日、上官の命令で、満州に飛んで関東軍総司令部に対する「停戦命令書」を携えて出かけた。上官からは伝達後直ちに帰国するよう指示を受けていた。現地における最後の幕僚会議が開かれ、激論の末、聖断を奉戴することになった。壱岐正の仕事は目的を遂げ、直ちに帰国すべきであったが、壱岐は現地に留まった。軍律違反ではあるが、自分が大本営参謀として立てた作戦が結果として不成功に終わったことに対するけじめをつけたかったのであろう。この結果、11年という途方もない長い年月を戦犯としてシベリアの大地で過ごすことになった。 二週間ぐらい汽車に乗りつづけ、捕虜収容所に到着。狭いところに何百人もの各国の捕虜が起居を共にする。食事は薄い高梁粥である。量も少ない。凍てつく雪道の中を何キロも歩いて伐採地に行く。同じ捕虜でも要領が良い人は食事の量、仕事の質で有利なものを選択できる。しかし大本営参謀のプライドは高くへつらうことをしない。 ソ連国内の法律に基づく裁判が行われ、戦争犯罪人に仕立て上げられて捕虜収容所から刑務所に収監された。捕虜が何故戦争犯罪人になっちゃうのであろうか。多くの疑問があるが、朝は4号食のパンと鱈の切り身入りのスープだけで12時間を過ごさなければならない。一ヶ月の間に見る見るうちに痩せこけてしまった。炭鉱の中で石炭掘り、運搬それらの仕事にはノルマがある。これを達成しないと食事の量が減ってしまう。身体は慢性的な壊血病で強い倦怠感と関節の痛みがある。歯がどんどん抜け落ちてしまう。医務室に行って休養しようにも許可される人は一日に20人という制限があって中々行けない。行って許可されれば良いが不許可だと朝食にもありつけないからだ。ハバロフスク事件が勃発した。日本の囚人達がハンストを行った。この時の囚人側からの条件提示が奇異である。 1.健康管理に関する事項 壱岐 正は自らの求職の前に一緒に生活した仲間の就職の斡旋のために2年間を費やした。2年後近畿商事に就職。そこで昔の同僚とのつながりが始まった。 以上 |
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不毛地帯(二) 山崎豊子著 新潮文庫 読書期間:03-10-15〜11-7 | ||
ここまで読み進めているうちに作者の言いたいことが少し分かってきたような感じがした。「不毛地帯」とは第一部にあった単なる極寒の地シベリアということだけではなく、私達の身近に存在する現在社会においても同じものがあるということではなかろうか。勿論中身の差はある。しかしその本質部分に「不毛地帯」ともいえるものの存在が確かにあるということだ。自分が属する企業が勝利を収めるために様々な戦略を立てて、果敢に戦っていく。ただ勝利だけのために我武者羅に戦う。その戦いの中にはヒューマニズムなどは存在しない。法律に触れない中での最大限の策略が練られ行われるのである。こんな所にも不毛地帯がある。
最近の世の中は私達の子供時代と大きく異なっている。子供の時は川の水は綺麗だった。向こう三軒両隣、皆親戚のような社会だった。学校から帰ると暗くなるまでみんなで遊んでいた。悪い奴といっても盗んだりいじめたりするのではなく、一寸喧嘩が強かった程度でそれなりに皆から認められていた。車も少なく何処に行くにも徒歩か自転車であった。勉強が出来ないから怒られることなど決してなかった。子供が引き起こす罪といってもカッパライ程度でしかなかった。 @.防衛庁内部とのパイプを構築し不正な形で内部情報を取得する。 A.政治家の力を金で買う。 A.参謀時代の親友を罪に落としめ、死に至らしめる。 B.会社内における様々な反発。
といった具合である。私も会社時代苦しんだが、情報の伝達は長ければ良くやったという感覚の人が多かったような気がする。 また、秋月千里が傾注している青磁の世界にあって初めて焼き物を経験した時の言葉が私にとっては新鮮に写った。というか私がどんなに一生懸命焼き物をやったとしても、とうていこんな心は体験できないと思うからだ。
以上 |
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不毛地帯(三)山崎豊子著 新潮文庫 読書期間:03-12-25〜04-02-11 | ||
主人公の壱岐正が大本営参謀における教育、思考、経験などを生かして、商事会社の経営社としての力を益々発揮してゆく過程が中心に描かれている。この中で、企業における派閥について考える。ストーリでは里井福社長が自分の地位に着実に迫ってくる壱岐に対して強い敵愾心を持った行動が描かれている。一つの企業の中で人間的に”好き”とか”嫌い”などの感情は誰でも抱くことはあるが、適正な事業活動をやって利益を追求するという共通の土俵の上で部下や上司の足を引っ張るということは余り考えられない。言って見れば戦場で後ろから見方の兵士を銃撃するようなことであるのだから。でも、この里井副社長の考えや行動などは頭の中で何となく分かる感じがする。日本企業の千代田自動車とアメリカのフォーク自動車の企業提携問題では企業内での足の引っ張り合いと、企業間での激烈な駆け引きが同時進行する。これに壱岐自身の個人生活が関わってくる。 第三巻は猛烈企業人の姿を強烈に描いている。主人公の壱岐正は理想的な企業人であるが家庭人のほうとしては一寸減点がある。里井副社長は企業人としてはエキセントリックな考えをもつが家庭では奥様の理解が得られている。企業からも家庭からも社会からも全ての面で理解と尊敬を受けるということは困難というか不可能であろう。故に何処にそのパワーを注ぐかということが人生を大きく変える要素になってしまう。そして一番大切なことは我欲を捨てて物事に当たればそれらの何処にパワーを注いでも幸せの道は備わっているということだ。一番いけないのは我欲と全てに中途半端でやることなのであろうか。 ストーリーは経営危機を乗り越えるためにアメリカのフォーク自動車との提携を承知した千代田自動車が壱岐の属する近畿商事の仲介で話を進行させたが、これが壱岐の宿命のライバルである鮫島常務がかっさらって行ってしまった。イランの石油基地開発プロジェクトにおいてもしかり、一方個人生活の方では妻が交通事故でなくなり。大本営時代の上官の娘、秋津千里との新たな生活が展開されるが、これが薄々ではあるが壱岐の子供達に知られてしまうことになる。子供達に新たな生活を伝えることができない壱岐の弱さと、石油公団総裁に強烈に談判する強さの両方を心の中に持っている壱岐は理想的な男だ。昔で言えば坂本竜馬ってところであろうか。 以上
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