小説 中江藤樹{上} 童門 冬二著 学陽書房 読書期間:03-2-12〜2-25 この本を読んだ全体の感想は「神様はその人の希望通りの人間になるように全てを導いてくださる」
ということだ。与右衛門の父、吉次は自身がなりたかった「処士」への
夢を子供の中江与右衛門(藤樹)がなることを期待した。与右衛門が9歳の時、琵琶湖畔の近江からお祖父さんの住む米子に両親と別れて移った。その時父が「与右衛門、日本にはないが、中国には処士という人々がいたそうだ」
ということを一言だけ言って別れた。その時は何も分からなかった与右衛門は米子で
「処士」への道が開ける。「処士」とは「土地や家などある程度の財産を持っていて、生活にそれ
ほど困らずに、自分が学んだ学説を世の中に説いて回る人」ということである。
マタイによる福音書7章7節〜8節より
求めなさい。そうすれば、与えられる。 探しなさい。そうすれば、見つかる。 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、 門をたたく者には開かれる。 |
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小説 中江藤樹{下} 童門 冬二著 学陽書房 読書期間:03-2-26〜3-25
子供の頃母親からよく聞かされた話がこの中江藤樹である。母の話では彼は子供の頃、奉公か何かで遠国で暮らしていたが、母の面影が忘れられずに雪の中をはるばる我が家に帰宅した
。大喜びしてくれるものとばかり思っていた彼に対し、理由を聞いた母親は生活の
糧として一生懸命織っていた布を引き裂いて無言の帰還命令を出した・・・・・。「どんなに寂しくとも、どんなに苦しくとも志を立てたらそれを果たすまでは挫折したらいけないんだよ」ということを耳にタコが出来るくらい聞かされた。そんなに良い話を沢山聞いた私も今はごく普通のシニアになってしまった・・・・ 近江に帰郷した与右衛門は早速処士としての生活を始めた。弟子が現れた。義弟の甚之丞、馬方の又左衛門、その仲間の与六、七兵衛、漁師の加兵衛などである。弟子達の生活に密着した教材を選んだ。例えば”厩火事”という話である。又左衛門が馬方であったためである。論語の中にある話で、「厩焼けたり。子(孔子)朝(役所)より退きて曰く、人を傷えりやと。馬を問わず」。孔子の家で厩が焼けてしまった。役所から戻ってきた孔子が家人に馬のことは触れずに、「誰も怪我はしなかったか?」と聞いた下りについて、孔子が如何に人間思いかということを語った話を教材にして、又左衛門達の考え方と話の本質とを比較しながら学ぶ方式を採用した。この学びは与右衛門に対しては、圭角の人といわれた人間性から角が取れて円熟した人間像を形成するのに役に立った。弟子の又左衛門や加兵衛などにとっては、それまでの人生観を一変させるほどの、幼稚ではあるが聖人としての生き方を実践することになった。与右衛門の持論は「時・処・位」を重視した物事の考え方をするということであった。今でいうT・P・Oを考えなさいということで、一つの事象に対する対応方法は「時・処・位」によって解が異なる場合があるというものだ。庶民を対象とした新しい塾は近在はおろか、遠く大洲の藩士にも名を轟かせて昔の弟子達が代わる代わる近江にやってきて学びの輪に入った。 与右衛門の教えの基本は”明徳を明らかにする”ということであった。明徳を明らかにするためには、夫々の立場で職業によく励むこと、父母に対する孝を第一に心がけること、心の鏡が曇らないように”私心”を起こさないこと、などを実践することであると説いた。弟子達は師に喜ばれるべく彼らの考える明徳を実践した。 ”圭角の人”と言われた与右衛門がどうしてここまで変質できたのであろうか?。また弟子たちが与右衛門によってどうして人生観を180°も変えることが出来たのであろうか。私は”大いなる愛”が全てであった、と言えると思う。この愛は持って生まれたものというよりも厳しい勉学の中から生まれたものと言えるのであろうか。この本 の本質は聖書の中に全てあるような気がした。
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この子を残して 永井 隆著 中央出版社 読書期間:03-3-26〜4-8 今年(2003年)2月九州を駆け足旅行した。この中で
美人のバスガイドの
岩本 明美さんがバスの中で語ってくれたこの本のことが忘れられずにいた。漸く読むことが出来た。感謝。子を思う親の心としてこれ程私の心を打った本というか、話は初めてであった。 長崎で幸せな4人家族が静かに暮らしていた。夫と妻、それに二人の子供の兄と妹。運命のあの日、あの瞬間、長崎大学病院で規定量以上の放射線を毎日のように浴びながら研究に励んでおり、このために慢性の原始病に罹っていた放射線研究者、永井博士は急性原子病が加わり、予定より早く廃人同様になってしまった。最愛の妻も失った。二人の子供達は奇跡的に3日前に祖母の住む山の方に行っていたので無傷であった。子供以外全てのものを失った永井博士は十数年蓄積してきた貴重な研究資料も失い、地獄に突き落とされたような絶望を抱いた。しかし半日後
には新たな素晴らしい希望を発見することが出来た。それは目の前というか、自分自身に現れた世界で最初の病気、原子爆弾症の研究を開始することであった。
それから約一年、おびただしい原子爆弾症患者の治療に励んだ。しかし身体を動かすことが出来たのはそこまでであった。 1.祈り
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風の盆恋歌 高橋 治著 新潮文庫 読書期間:03-12-1〜25 久しぶりに大人のメロドラマを読んだ。多分40年ぶりくらいであろう。この本は町内会の役員をされている長田さんが貸してくれたものである。長田さんは非常に多趣味な方で野球、秘湯巡り、その他何でもこなすが、この本のメインテーマである富山県婦負郡八尾町で毎年9月1日〜3日に催される”風の盆”という行事に毎年のように行かれている。そして昨年であろうか八尾でこの本の著者の高橋先生と出会って歓談されたとのことである。 ”風の盆”というのは独特な音色を出す胡弓が加わった民謡の越中おわら節をのびやかに歌い、これに合わせて夜通し踊り続ける奥ゆかしくまた優雅な催しのようである。私はこのような感性に訴えるようなものは余り感動しない。多分右脳の発達が子供の頃から停止している故であろう。 この、”風の盆”が行われる地で学生時代に心の中で想いあった二人が50歳に手が届く年になってから、夫々の相手を忘れて八尾で落ち合うストーリーだ。 この本を読んでいて感じることは、著者は長田さんと同じく本当にこの風の盆を愛しているのであろう。文字の行間から胡弓の音と踊りが今にも飛び出してくるような錯覚にとらわれる。著者は多分この”風の盆”全体が人間の持つ純粋な心を取り戻し、純真な気持ちで人を愛することの喜びが秘んでいることを訴えたかったのであろうか。でも鈍感な私には良く分からない。ただ綺麗で優雅なんだなという感覚でしか捉えることができない。 右脳が発達している方は本当に羨ましい。 以上 |
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